森美術館 「万華鏡の視覚」へ。
視覚、聴覚など五感に響く作品群。本来の見ることが中心の展覧会とは違い、この展覧会では目だけでなく耳や手など、身体で感じる。
ジム・ランビーの幾何学的な模様を施した床の上に、イェッペ・ハインの『映す物体』がある。鏡面でできたボールであるその物体は床の直線を変容させ、空間自体を取り込んでいる。視覚的に変質させながらも中には錘が入っているのか、不安定な動きをしながら移動している。微妙に揺れ動く物体と観察者は微妙な動きの量と距離感を取りながらその物体を観察することになる。そのとき、観察者は常に球体の頂部に自分の姿を確認する。平面と重力だけで動くその物体はどこか小動物が自身の体に合わせて生きようとしているような姿を彷彿とさせる。球面という自分に周囲の姿を変えて映す姿から身体的に伝わってくる不安定感はその物体自体が周囲と関係性を作り出そうとするようにも思える。
オラファー・エリアリンの『投影される君の歓迎』も自律的に空間のなかで動く。しかしそこで重要となるのは光であり、そこを単に鏡が回っているだけである。その鏡から光が観察者に向けられたり、観察者を映し出したりと空間のなかで観察者を相対化する。自律的な要素が相まっているだけのところに観察者の姿と目が突然入り込む。それは空間に入った観察者自体も要素が作り上げるインスタレーションに参加し、観察者自体も作品となることを意味する。相対化された目は単に世界を構成するひとつの要素にすぎない。その目が作品を決定するのではなく、そこには決定者は存在せず、従って作品も存在しない。単に全てのものは万物のシステムのなかで自律性をもった要素なだけなのである。