「思想地図 vol.3」刊行記念 濱野智史×藤村龍至 @青山ブックセンター・カルチャーサロン

19:00から行われた藤村龍至氏と濱野氏の議論は、藤村氏によって設計された。最初に建築学生に向けてメモをとってそれを踏まえて感想を書け、質問は聞きながら準備しろ、といっていた。

前半―超線型プロセス論について

議論が始まる前に藤村氏の超線型プロセス論についてのレクチャー。ここで自分の誤認に気づかされた。フレームとしてはシステマティックではありながら細分化された諸条件の入力、選択と対応する解決には明らかに主観的な手法が持ち込まれている。あまりにマクロに考え過ぎて、建築家のみているところをみていなかった、明らかな私のミスであった。変数の扱いは個人差が出てくる。教育実践の場で、結果は評価の対象にならず、どこまで忠実にプロセスをふんでいるか、そして最優秀には変数を独自に増やした学生が選ばれたというところでその柔軟性は保障されている。

レクチャーが終わると濱野氏のレスポンス。まず最初に教育における実践において「Do Not Think、Do Not Imagine、Do Not Lookback」という標語をみて、人文系としてはかなり大事なものを禁止するということに対して笑いをみせる。
人文系や芸術系において天才を生み出す要素とされているようなある種の「幻想」を禁止したからであろうか。

濱野氏は建築界内部で門外漢からするとおもしろい反応があったと語り出す。建築界の人は批判的工学主義は肯定し、「BUILDING K」については否定的であると。これは「建築雑誌」の第二特集になったことからもわかるが、方法論の実践としては評価できるが、建築自体は過去を超えていない、という批判だろう。
そして市場国家/福祉国家社会主義/資本主義の構図がベルリンの壁の崩壊、冷戦以後に崩れ、世界がオルタナティブの方向へ移行するなかで藤村氏の作家/組織の二項対立とそれらを踏まえた第三者目、オルタナティブであると指摘する。
さらに90年代には人間の働き方、組織の改編があったとし、物と組織の設計プロセスはシンクロしていることを挙げる。
具体例として出されたのがなぜ日本では自動車会社が成功し、アメリカではIT企業が成功したのか、なぜ国ごとに発達する産業が分布するのか、ということである。それは自動車はインテグラルな製品でパソコンはモジュールの製品だからだという。すなわち自動車は統合的装置であり部品同士の相互作用が強く、パソコンは取り替え可能な部品で構成されているため相互作用があまりないアーキテクチャである。全体のバランスが必要な自動車と自律性の高い物の集まりであるパソコンの発達は国における組織同士の関係に由来する。日本においては他の企業とずるずると酒を飲んだりするうちになんとなく仲良くなり、いつのまにか問題点が全体的に改善されてしまう一方で、アメリカにおいては組織同士がドライな関係なため内にこもった開発が発達することが証明されているのだという。
そして建築はどうかというと、「一回性」が他の製品に比べて断然高いことが最大の特徴であり、それが二項対立を生む条件となり基本設計など見えない構造は組織がやり、表層はアトリエが行うという構図にならざるをえない「アーキテクチャ」だ。


藤村氏は1995年の「せんだいメディアテーク」のコンペ結果において、情報化に対する建築の態度がランドスケープ的建築で肯定されてしまったことを指摘する。技術を否定し、曖昧性で取り込んでしまう態度に対してアーキテクチャという概念の導入が必要であるとし、固有性といかにハイブリッドできるかと語る。

ここでフレームと条件の解決方法の自由度の比率、そして線型であればスピードは早まるかもしれないがどこまで独創性を追求できるかが氏のこれからの課題であるように思う。関西など、アイデンティティがはっきりした地域での実践で建築家としての力量が試される。

さらに濱野氏は「超線型プロセス論」とアルゴリズムの関係について指摘。ウィキペディアの生成条件、つまり更新の制約が「他にソースがあるか」という至って単純なものであり、結果それは人間をロボットにしてしまう、つまり機械がすごいのではなくウェブを使っている人間がすごい、という。それは模型というアナログな装置をくり返すために人間がアルゴリズム的に動き、さらに徐々に条件を入れ込み、コミュニケーション手段となる。プログラムの作成方法においてもトップダウンに限界を感じ、すこしずつ調整、反復していくアジャイルという方法が注目されているという。つまり道具としてログ化し、設計していく極めてネット的な方法論なのだ。
どこまで人間はアルゴリズム化されるか。機械のように模型を作り、それを比較検討する能力が必要になる。自動選択としてのアルゴリズムと、選択比較としてのアルゴリズム


後半―政治、社会への建築からの発信

藤村氏は設計環境をコンピュータ側に送り込みたい、という。そしてより正確に集合知をどう構築していくか、いままで建築家はこういうことをやってきたということを整理して提示することで建築家、デザイナーというロールモデルを社会に提示する。
そして建築の設計を変えること、単に記号化されたコンテクスチュアリズムだけでなく、その場所でしかできないものを入力していかに幅を広げられるかが課題である。濱野氏の実社会において「そんなの聞いてない」的なちゃぶ台返しが存在することに対して、ウェブ上ではログを残すことでそれが存在しないことを指摘し、元々社会工学科で都市計画よりの専門をしていた藤村氏は、それを援用して民主主義の「多数決」を細分化できる意思決定の可能性を社会に還元することができるとする。

濱野氏は磯崎新氏の都市から撤退する前の論考に対して、都市デザイナーと名乗っていたことから参考になったという。しかしウェブ側の人はウェブは人を殺さないし体に影響しないことから単なるおもちゃだという認識が多く、これからユビキタス社会に向けて空間とウェブが連携をとる必要があるとする。

濱野氏は終盤に建築界は方法論に注目することをやりたがってはいないのではないかと問う。藤村流でやれというわけではないが、藤村氏は私性にこもるのが現状の一般になっていると返す。
東浩紀氏からの質問に、磯崎氏への返答には藤村氏がログ保存によりイメージを変えていかなければならないとする。そして濱野氏は何をするのか、という質問には「批判的西村主義」を掲げて驚くようなものをつくると心強い返答をしている。

会場から出た質問は、ヴォリュームのある建築物について、その速度との両立はどうするか、また、正しい検索条件を選べるか、というものが挙った。もうひとつ、濱野氏に対して評論家の鈴木謙介氏が質問をした。鈴木氏に対する返答はラジオでする、と宣言したので、そちらの情報が正しいと思う。
藤村氏に対する質問の意図は、資本主義社会建築の限界ともされているCCTVの火災が、効率性というスピードを重視した結果であるという認識が前提にあるように思う。変数が多大にあるとき、それをどう処理していけるのか、CCTVが材料、防災的に欠陥品だったという前提ともいえる。その欠陥品になるかもしれないという疑問と2つ目の疑問に対する質問として、藤村氏は超線形プロセス論が教育的でなければならないことに言及。つまり、事務所内のスタッフだけでなく、クライアント、デべロッパーなど他者との合意形成ができるというだけでなく、検索条件を確定するための意識を培わなければならないからだ。
良し悪しに関わらずモノが溢れかえる時代、ある意味では「選択しかない状況」である。この認識に立つと全てが相対化されたように見えるなかで、新しいパラメータ、つまり価値を見つけ出せるかどうかが超線形プロセス論上の作家性であり、建築家という「人」を信頼できる要素になるのだと思う。おそらく藤村氏はまだ意図的にか、そこを説明的には語っていない。つまり、議論をするための枠組でしか語ることを行っておらず、主観的部分は見る人に任せるような、フラットな感覚を持ち合わせるようにも感じた。自分を擁護するのでなく、「あるべき姿」を提示する、「第3の立場」にふさわしい人物にも見える。
シンポについての追記