「地元に帰りたい」。
この言葉の真意は何であろうか。一応だが、「地方」ではない。渋谷でも、大阪でもいい。ぜひ、建築関係以外のひとに聞いてみたい。
まさか、「地元の駅舎建築が好きだから」なんて言わないだろう。もし言ったとしても、それは何かの思い出のバックグラウンドになっている可能性が高い。
2週連続で行われた藤村龍至氏がプロデュースする「建築夜楽校2009」。藤村氏、モデレーターの濱野智史氏を含め計12人の建築家、社会学者が招かれて行われた議論の到達点の一つは、このある種の心同士のつながりをつくるために、建築はどう可能性を秘めているかを探るものであったと言える。もちろん、そういった政治的な範疇だけではない。議論はある目的までの過程に過ぎず、ここで方程式のように答えが出たわけでもない。しかし、2夜にわたって行われたこの議論を整理し、先を見据えておくことはこの先建築を作る上で、そして建築によって社会を豊かにするためには意義のあることだと考える。

毎回そうだが、一貫して藤村氏によって議論は設計される。特に関係はないが、先日1回目の反省でしゃべりすぎたというのは設計のし過ぎ、あるいは方向性を固めすぎだということだろう。メディアが何かを決めるわけにはいかない。1、2回のパネリストについても、本当の意味での精鋭を揃え、議論に主体があること、その議論を完璧にシミュレートすることで、つまり演じさせることで聴衆に向けての強烈なメッセージとして、確固たるメディアとしてイベントが成立しているのだから。


まあ、それはそうと、まず、第一夜。「建築家の」の中山英之氏、小嶋一浩氏、「日建設計の」山梨知彦氏がプレゼンターとして発表した後、ディスカッションでは建築家の難波和彦氏、情報側から江渡浩一郎氏が登場。
前述の通り政治性まで射程にいれた2回のイベントのうちの第1回目では、「データとプロセス」、つまり政治性以前の建築の職能的問題が議論される。
トッププレゼンターの中山氏は、平面図、断面図という建築家が真っ先に考え得る独自の「世界観」を最初に考えるプロセスではなく、徹底的に人の目線から建築を徐々に構築していく。住宅作品「2004」では、敷地にあるクローバーから始まり、それを起点に家具などブックマークを置きながらスケッチパースを書いては模型にし、全体を確認、という過程をくり返す。敷地を見て、コンセプトを立て、それを図面に投影するという自分の中で生まれたものを確信して建築を立ち上げるのではなく、わかるものから考えていく、事実だけを一つひとつ取り入れていく。つまり、事実を確認するリサーチと、それを処理するスケッチの並行的手法である。

次にC+Aの小嶋氏のプレゼンは、「宮城県立迫桜高校」と「スペースブロック・ハノイモデル」について。GA JAPANで連載されていた「白と黒」、つまり固有値とパラメータ(変数)に変換し、レイヤーの重なりとして最終的な形を導く。理解を単純化して共有するモダニズムの時代に対し、複雑性を精密に取り扱うのが現代であるというのが氏の認識であり、集合的に部分を統合する議論を精密化することが狙いである。「ハノイ」では高密度の都市の中でヴォイドとヴォリュームの関係をひたすら大学院生がスタディするという、建築元来の気合いで解答を導く。しかし、この場合、全てを満たすためには無限の時間を必要とする。つまり、複雑性を緻密に取り扱うと、全体的な「形」に落とし込むという行為が行えなくなる。客観的なパラメーターに依存するだけでは、恣意性を免れるあまり、最終形を発見する「断絶」の行為を政治性などから決めることになる。

最後のプレゼンは日建設計、山梨氏。最近何かと話題のBIMを操る。といってもPC内だけで設計をしているわけではなく、BIMというソフトにより、より見えずらいものを見えるようにする、つまり先にあるものを今見せることができる。例えば風や熱などのパラメーター、斜線制限などの法規制上の制限などである。これによりシミュレートされたヴィジュアルイメージは、ノンリアルであるがリアルに近い。そしてそれをとりあえず置いておくこともできることから、最終決定を先延ばしにすることができる。その間に他のパラメーターを設定、プロセスの上で自然淘汰していくことになる。こう書くとこれさえあればなんでもできるようなイメージを持ちがちだが、それは決して正しくない。つまり、以前のトークイベント時の藤村氏の設計手法において書いた通り、そのパラメーターの選定すること、そしてそれの処理がなされ、最終的にどう統合されるのかに「建築作家的な問題」が集約されているからである。データから少しジャンプすることを反復することの積み重ねがBIMでできる大きなことであり、それから人間を排除しているところにコンピュータと人間の対立がある。


つまるところ、今回の議論の主旨は、中山の「感受性の積層」、山梨の「パラメーター設定範囲の広さ+BIM」、小嶋の「ソフトを許容するレイヤーの積層×政治的要因などによるジャンプ」である。微分して精密化されたデータを、どう積分していくか、その手法と、その中でのイマジネーション、クリエイティビティとは何なのか、BIMという設計、施工における進化を前提にディスカッションは進む。


最初に無駄なものでも何でも集めて最終的に淘汰していくという生態系進化のアナロジーを山梨氏はヒューリスティック・アプローチと称して最終的な目標を段階ごとに可視化しつつ過程を積層させていく。それは設計と施工の問題点をなるべく一元化しつつ効率化を図る最新鋭の道具である。しかしここで、濱野氏からの質問は、BIMというツールの神格化の先にあるものは?というもの。集合知を統合できるツールの開発により、建築家はどう再定義されるのか。それに対し、小嶋氏は山梨氏のことをラリードライバー、BIMを使いこなす人であり、組織アトリエ関係ないと発言。組織事務所所属と言えど、単に新しい建築家の中の職能としてみるべきだということだと指摘。そしてテクノロジーということに対して中山氏は伊東事務所時代のことを振り返りながら、エンジニアリングというものに対して「決めないためのテクノロジーであり、シミュレーションすることによって決定を先延ばしすることができる」、さらに決定を遅らせることによりプレイヤーと元を作る人が同じになることにより、決めた結果に自分も含まれる。
BIMは、googlewikipediaが人を刺激して人を動かすように、やらされるのではなくやりたくてやる意識をもたせつつ、全体を構築していく。そこには、大きな恣意性が存在せず、それを利用することによってBIMを扱う人が説明的な道具として他人と価値を共有することができる。
さらにそこに「建築家として」必要な教養を身につけることが大学での本来の目的であり「本当にいいもの」を知るための経験が必要である。

実際に、「建築史」という分野を建築教育から排除した大学があるという。今の現況からいうと「モノ」としての観点からの建築教育など意味がない、ということはある種リアリティのある議論ではある。しかし、いくらBIMやら職能やら形やらの話をしたところでつまるところ建築はモノという側面は常に持つ。これは建築だけの問題に限らないかもしれないが全てを経済的に回収する、つまり数値に還元してしまうことの盲目さである。これでは、個人の感受性を育もうとも育まれるはずがない。
建築家とは本当に上位に位置する存在なのか。いや、そうではないだろう。都市、地域、マネージメントなど上位の概念から人間、物としての価値としての下位の概念を架構する存在であるべきである。1夜目の議論が上位に近い人たちを中心に設定されたなら、2夜目の議論はより下位に近い議論である。


上述のようなプロセスにみられる独創性こそが最終的な建築をつくり、そこに至るまでのデータをどう取捨選択できるか、どう処理できるのかという議論を受けて、2夜目では「プロセスとローカリティ」に主題は移る。プレゼンターとして、北海道から五十嵐淳氏、大阪からdot architectsの家成俊勝氏、福岡から井手健一郎氏。コメンテーターには古谷誠章氏、社会学者の鈴木謙介氏。

五十嵐淳氏は、モンゴルで建築家を100人集めてヴィラをつくらせるというプロジェクトでの「ORDOS100」、そして北海道での住宅プロポーザル案「HOUSE OF EDEN」をプレゼン。モンゴルの砂漠、北海道の自然の中という都市とは全く違う、タブラ・ラサの状況の中で、環境の「状態」を条件を並列化することによって解くことが普遍性を持ち得るとし、その手法を発表。しかし、それは環境を前面に押し出したパッシブ建築でもなければ、美を拠りどころとする歴史的な作家性を前面に押し出した建築でもない。現地の施工精度の問題や、断熱などディテールの本来の設計プロセスでは時間軸があるとするならば最後の方にでてくる与条件すらも同時並列的に思考する。つまり、パラメーターの取り入れに取捨選択はあれど、それらの一つをどれかだけ突出させるいわゆる「個性的な」感覚を前面に押し出すのではなく、あくまでも等価に扱うことによって、その「土地」の最適解を導き出す。

dot architectsの家成俊勝氏は1995年、阪神大震災で被災した体験からプレゼンをはじめる。それは震災によって倒壊した廃墟のような町並みではなく、そこから人びとが復興させようとするふるまいの集合であり、コミュニティという秩序を生成する力であった。dot architectsは、図面、模型、詳細を1人が担当し、設計を並列的に行っていく。「No.00」という住宅では、周囲の環境の良さから、敷地の中央にセンターコアを配置し、その周囲を敷地を取り込みながら部分の集積として住宅を構築していく。陶芸教室になる一階では道路から中が見えるように、など、個別の条件も拾いながら設計は進んでいく。大きな抽象的なコンセプトを決定した後、詳細という人間に一番近いスケール、図面という二次元を全体を整理統合する役割、そして模型は三次元的に完成イメージを提示する役割を持ちつつ、各々の中で重要になる与条件を同時並列的に処理し、与条件の処理同士のつじつまを合わせるという方法論により、一つの主体性に依拠することなく、脱中心的に条件、スケールといった「部分」を集積させていく。これは、後にこの「Latest No.00」において、学生、社会人など総勢20名とwikipediaのように住宅を増減築していくプロジェクトではルールを設定し、秩序をドライブしていくことにより「結果的に」形が生成するというプロセスを辿る。

rhythmdesignの井手氏のプロセスは、スタディ模型にタグをつけていくことに特徴がある。何回目のプレゼンで、スタディ模型の形の変わった根拠、つまり与条件の取捨がタグに一般的な言葉で箇条書きになっており、その前後の模型、タグと見合わせると何を考えたか、何を取りいれ、何を捨てるかを言明化することによって「作家性」という言葉に回収されがちなプロセスをクライアント主体に融解していくプロセスである。氏がいう「面検索的」、つまり与条件の拾い上げを徹底的に行い相対化をくり返す。

今回の議論の主旨は、ディスカッションの冒頭に古谷氏が言った「3者は共同体がもつ幻想に自然とアプローチしている」という言葉に集約される。
しかし、それは何か共同幻想という目標を単に突き止めるのだけではなく、それを建築に関わるステークホルダーに定着させることも意味する。すなわち、井手氏のプロセスの中で「バンガローのような」というクライアントの条件の言葉の裏側に内在した、その時点では未知の幻想をクライアントと共に定義していく、「定着」のプロセスをどう踏めばいいか、ということである。それは一つの到達点が将来的に設定されているのではなく、建築行為というものをプロセスにおいて認知させることで、場所に自分を含む「固有性」として存在させるのである。
それをプロセスではなく制度的な竣工後も続けていこうとするのが古谷氏の「がらんどう」であり、場所のプロトタイプとでも呼べる考え方である。そこでは、「どうつくるか」よりも「どうつかわせるか」が重要になる。すなわち、変容していくことを前提に、完結した場所ではなくどこまで場所をオープンソース化できるか、webの広告のようにアウトプットのパターンを決定せずに使う側の環境に依存したものをつくれるかということだ。

形としてではなく、態度として建築を構築する。作家性ではなくつかう人びとにも主体性を与え、公共性を得ていく政治的なプロセスは、いままでであればどこかで誰かがやっていたことに対峙したときに、自分にとっては他人のようにみえたものをどこまで自分に引きつけさせてあげられるかということか。
終戦後に建てられた丹下の旧東京都庁舎と村野の読売会館は、1957年に竣工し、現在では読売会館だけ残っている。前者はモダニズムの典型作とも言える作品であるが、現在は周知の通り、新宿へ移る際に解体されている。それに対して後者は現在でも丸の内のシンボルとして改修されながらも生きながらえている。丹下と村野のクライアントに対する態度、管理などへの責任感など多くの論文や書籍として発行されているが、最終的に「モダニズム」と呼べる時代から資本主義の淘汰から生き延び、今も健全に現代まで生き延び得るのは様式建築と、様式建築のように意匠的にわかりやすく「公共性を獲得できた」ものだけなのである。
これからもそのプロセスにも公共性をおびた建築とは何かを考えていかなければならないし、建築に関わる人以外もステークホルダーという地域を作っていく人として弱体化したといわれるネットワーク、つながりを強化していかなければならない。

2回にわたる議論で、1夜目と2夜目で真っ当に「オーセンティックな地域性」で比較することが可能である。藤村氏は2夜目の議論の冒頭で、今日呼んだパネリストは「東京ではない」という意味でのローカリティであると釘を指したが、そのこと自体、地域ならぬ地方と深く関係する。
私は、都市というものの定義を「意識集合体」、地域の定義を「生活集合体」とよべると考えている。これは端的に言うとプライド、つまり個人が仮面をつけない「泥臭さ」のようなものである。単にプレゼンの手法としての差異に過ぎないかもしれないが、経歴を見ても、2夜目のパネリストが1夜目のパネリストのように一般的な「建築家」と呼ばれるような人が歩む大先生的経歴ではなく、その人の地元で学び、「施工」まで方法論に取り入れて現在仕事をしているような人である。何が良くて何が悪いという問題ではない。
これはつまり、最後に藤村氏が自分たちが建築家というものを考えないといけないと指摘したように、作家性の解体、ひいては1夜目と2夜目の議論をどこまで引きつけられるかがこれから経済、環境など多くの問題を処理していかなければならない都市により人間らしい豊かさを植え付けていくことができるかを問うているのである。