古代の建築家、ウィトル・ウィウスをはじめ、ルネッサンス期より建築家は書物を出版する。知識を披露するだけでなく素養のあり方を表すことが建築家としての宣伝にもなり得たからである。

近代に出版された雑誌である「デ・ステイル」(1919)、ミースなどの参加した「G」(1923)、ソヴィエトのオサ(現代建築家協会)による「ソウレメンヌイ・アルヒテクトゥーラ(SA:現代建築)」(1926)、アドルフ・ロースの編集の「ダス・アンデレ(よそもの)」(1903)などは、一つの様式を目指す過程として同じ思想を持つ建築家が集まり構成された。


様式が排除され、新しい方向性を模索するために発行された近代における数々の雑誌または宣言書は、印刷技術の発展とともに現代の雑誌のような客観性を持つものではなく、思想を伝えるために存在したマニフェストである。

現代においてはこのような客観性を欠いた雑誌は、日本においては川添登氏が「新建築」編集長であったころに批判された。ある思想に対し、批判的態度の編集方法であったからである。


日本近代において、いや情報化の進んだ世界において、建築の方向を導くものは何か。


「統一された建築観」を作り出す現代の雑誌編集は、うまく建築を導いているのか。また、導くものとしての意識、解釈はあるのか。
批評性をもつからこそ、時代は促進し、建築は進化するのではないか。