ぼくには「物」に対する創意というものがない。
芸術作品が経済から自律した人間のイデオロギーの産物であるとしたら、本人すら気づいていないその価値を見いだすことがしたい。つまりそれは「物」ではなく「価値」という目に見えないものを生み出すことにひどく関心があるということだ。そして知識も増やしたい。
その対象は建築でなくてもよい。しかし、建築は個人のイデオロギーに加え、作家の周囲の全ての事象が関係し、あわよくば他律的に形成をすることもできる。その中で作家性を押し出し、フォルムを作るという過程はひどくつらいものであろうが読む側の人間にとってはこれほど読みがいのあるものもない。