阪大メンバーと久しぶりに会う。芸大のSDレビューへ。
SDレビューって建築家への登竜門じゃなかったっけ?アイデアコンペの作品みたいなのばっかり並んでた。
ディテールも書いてあるけど意味ない。建たない、住めない。

んで芸大のM君、Jちゃん、Mと合流して飲む。
かなり白熱。建築学生として本気で喋った。日頃考えてること、ぶつけた。
やっぱりゼミとは違う。建築熱いって知ってて、しかもあまり日常的に会わないやつらだからこそ本音で言えた。たぶんゼミの子ら相手だと無意識的に後先のゼミ内の仲良さのこととか考えてしまってるんだと思う。

内容としてはレビューの地下に埋める案から始まって、明石海峡大橋とか土木構築物の意匠的な必要性とか。それから日本人の民族学的な宗教とかそこらへんの話。
中でもM君の民族学的な知識、Fのプロジェクトの空間構成の読み、Tの時代に対する冷静な目はさすがという感じだった。

安藤さんのすごいとこは学生でもスチレンボードだけでできそうな空間をばっさりやってしまうこと。そしてその勇気。初めて気づいたけど納得。
宮田君が言ってた「誰にでもわからないと意味がない」ということ。思想としては見習うべき所だ。これは俺も考えてた批評的言語と創意的言語、建築が言葉に追いついてない、または言葉が一人歩きしていることとリンクした。政治家のいう「遺憾である」と「ムカつく」ということと同じ。建築家の説明にはもっと「ムカつく」的な言葉が会ってもいいんじゃないか。これは俺らにも言えること。特に自分は。これは英語と日本語の議論まで派生する。どちらの方が言語として射程があるか。英語文法は先に言いたいことがきて、後は付属的。逆に日本語は最後に大切なことを言う。これが何か意義のある結果に行ったかは忘れた。

後はゼミ制のこととかも話したな。特に卒計だと先生の主観だけにとらわれやすい。これは実力はつくと思うけど最終的にはただ先生の手ゴマになっているだけだ。卒計だと後悔する可能性も高い。先生の主観も客観の一つとして捉えるべきだ。

後は卒計かな。Mの案はすごく敷地が特殊なところだ。こういうのはおもしろいことを卒計でやってやろうと思ってる人に限って出てくると思う。そんなとこ探さなくても目の前の風景に問題なんかたくさんある。でかい模型、その場所だけに関する問題。
読みによっては普通の所に多くの問題が出る。それを敷地の特殊性に頼ってしまってディプロマとしては奇抜かもしれないが解法は明らかに正攻法。そういう解答しかない。でもこれでは俺はおもしろくないし、後悔すると思う。ディプロマってたぶん一生続く。そのスタートラインでしかない。何かに対して挑戦してこそ力がつく。明らかに正攻法しかとれない問題なんてすぐ解決する。もっと根本的な問題に着手すべきだ。