建築は、ぼくの中では芸術だ。
都市、すなわち経済の中に介入することは得策ではない。その関係性の中で建築が成立してしまい、プログラムのみで形態は終わってしまう可能性もある。

そのマニフェストとしてのディプロマになる。これはもう評価軸すらも消滅させてしまう行為である。建築は空間のために全てを従属させる。
コミュニティの発生、プログラムの変容から導かれるビルディングタイプとしての進化、これらは目的は空間ではなく人間の意識集合体である都市にある。

建築は都市から定義される。
これはネガティブな時代の象徴だ。モダニズムポストモダニズムと続き、情報、物が横行する時代、新しくものを作るというのはタブラ・ラサからの行為とは無縁であり既にある価値(都市)を認めそれを援用することとなる。いわば批評から新たな価値を見いだすという行為にシフトしている。近代と現代という時代の違いは、クリエイティブという言葉の定義の違いから差異化されるように思う。