東浩紀講演会@横浜開港記念館
東浩紀氏は、表象文化論、都市論を主に扱う評論家である。社会学的な消費分析と情報自由論を根底に評論を繰り広げている。前者は90年代からの社会学、小説などの受け取られ方を分析したものであり、後者は情報が与えるインパクトに関するものである。
自身の著書の中で主題である「動物化」、「環境管理」というキーを軸にした講演。
インターネットに代表されるようにただただ消費を繰り返し、性などに対してダラダラした感じを「動物化」とし、例として「オタク」を挙げる。近代を超えるものではないが極めてアメリカ的であり、ポストモダンといわれる。
氏は現代において、選択肢の豊かさ故麻痺した人々を動物的なポストモダン人と呼ぶ。60年代のSFではネットによってグローバルな国民が生まれるとしていたが、現代ではまったくそういうことはなく、単純にものや情報が増え、単純に麻痺してしまう、多様性を肯定することで何もかもを肯定してしまう。こうなると麻痺するしかなくなり、動物化するのである。この状況に対しては麻痺してしまった人はそのままにしておくしかないという立場をとる。
フーコーの概念で「規律訓練」、ディシプリンというものがある。「監獄の誕生」の中で語られるその概念は、自分を自分で管理する、自分の中に監視するものが埋め込まれているという概念である。通常、学校や軍隊でその身体感覚は埋め込まれているが、90年代にしつけを教え込む権力が崩れ、学級、家庭が崩壊、すなわちディシプリンが崩壊するポストモダン化が現れる。この崩壊が環境に管理されるという「セキュリティ」を生み出し、規律訓練によって抑圧されていた欲求を環境、物理的にブロックされるようになったと指摘する。ICになった改札などが例である。
ユビキタスの発達によって環境管理が進む、つまりディシプリンの崩壊をセキュリティで埋めることになる。これはコミュニケーションの問題がオートロックなどセキュリティの問題へ客観的にはシフトしたことを意味する。
人は動物化し、社会は環境管理化する。これはある種の結果であり、簡単に結論づけると良くない世の中で終わる。しかし、北田暁大との共著である「東京から考える」では氏は動物化、環境管理化を肯定する立場をとる。