文化表現におけるイノベーション

「マンハッタン」
撮影者は「夜の詩人」と呼ばれる程の人物で、はやり夜のシーンが抜群にうまい。当時のマンハッタンは虚業(テレビや評論)の街であり、世界中の憧れであった。絵として見せることにも成功している。
また、今は使われていないがテレビ放映が前提となっているためシネマスコープ(横長)は帯のようになってしまい見えなくなる。白黒は映像の実験的である。

いかにもニューヨークという映画であり、世界中の人々の憧れの的ということがその観客導入数が証明している。自分たちの周りでは手に入らない世界を映画に求めるのは当たり前のことだ。この映画はマンハッタンの見事なミリューのパッケージングである。他に世界があるなんてことは誰も考えていない。雨宿りはプラネタリウムだし、ご飯は有名人とか小説家のいる陰のカフェ、文壇バーだ。そのミリューの集まるものはハローワーク的なものでもあり、都市には様々なミリューがある。しかしそれらが互いに絡むことはない。イタリア人ならリトルイタリーというミリューでありブルックリン橋を超えてニューヨークからリトルイタリーに行く者なんていないのだから。

ミリューの外側、すなわち構造の外側をよくする努力をしなければならないと先生はいう。コルビュジェのスイス学生会館も学生という低い賃金の人々の建物だがブルジョワ相手でなくてもいいものを作っていた。現代でいう住宅特集の外側。