iA(インテリア/アーキテクチュア)09仕上げ材 (エクスナレッジムック) 「アイエー:iA interior Architecture」No.09 - 仕上げ材トレンド大百科 2008/04/28 エクスナレッジ
ファッション、モードとしての「素材・仕上げ」
メジャーな雑誌などをみると、白地の上に写真、テキスト、ダイアグラム、専門書であればそれに図面が付加されるという構成で、レイアウトの骨そのものを見せるものが多い。しかし、このiA 09(interior ARCHITECTURE)は白地どころか白色すらあまり使われていない。仕上げ材トレンド大百科という特集を組むこの季刊誌のデザインは、現代の雑誌に流れる白の美学が見えてこない。これはおそらく、インテリアに関する雑誌であり今回の特集はタイトル通り仕上げ材、つまりビジュアル的なディテールの雑誌ということが関係している。建築全体の写真がほとんど出てこない誌面にはおそらくただ接写写真を並べるだけではただのカタログのようになってしまうのだろう。その誌面と統一させるためか、インテリアの写真を裁ち落し以外で使用する場合にも地は白ではなくグレーやブラウン、ベージュといった暖色系の色彩を使用している。さらに特にテンプレート的なものも根底に存在しているようには見えないシークエンスが特徴的である。ページの表記ですら特集毎にばらつきがみられる。決して見やすいとは言えないがアヴァンギャルドな雰囲気を目指しているのはよくわかる。素材屋のカタログとの差別化のためだろうか。
建築表現における部分という概念には「素材」も重要な一部である。現代建築家の使用例をもとにその素材を解析することにこの雑誌の意義はあるのだろう。写真にテキストとして素材名を付記するだけでなく、クローズアップしてビジュアルなカタログ化をする。雑誌を作る紙と建築という物質をつなぐインターフェイスであるとも考えられる。装飾としての仕上げ材、一体化されていく建築。
冒頭のインタビューで内藤廣モダニズムの正当な末裔は物質的なことをどれだけアブストラクトにできるかという操作を追求してきたという。完全に抽象化された空間は表面が偏重されその背後にあるものは問われなくなる。それが耐震偽装などの問題、つまりはモラルの問題へと発展する。モラル=思考なのである。この批判は少し古い感覚もある。しかし、表面的な新しさを支える強度がなければそこで終ってしまう。それが建築である以上、その問題は避けては通れない。
この冒頭のインタビューはどのように編集態度に反映しているのか。それはおそらくこの雑誌の存在意義と同義である。しかし、この雑誌には一切詳細図面がない。さらに図面といっても1/400などの平面構成の図面のみである。ビジュアルはすべて写真。トレンドを主として紹介しているので仕方ないのかもしれないがこれこそサーフェイス偏重ではないのか。さらにどのページをとってみてもかなり自律的で一つの広告デザインのようである。内容全てに製造している社名が載せられていることから広告も担っていると考えられるがこれは雑誌としてはどうなのであろうか。

design adDict 2―for DESIGN ADDiCT by DESIGN GEEKS! (2) (エクスナレッジムック) 「design adDict」 No.2 - ニッポンの新鋭建築家20人+α 2007/12/18 エクスナレッジ
ほんもののデザインを探す、デザイン・アディクト(中毒者)のための雑誌、「デザイン・アディクト」の第2号。(編集者HPより)最近はやりのデザイン誌というか、まぁ一般向けなのであろう。一般向けというのは、まず広告からつかめると考えている。雑誌の広告は雑誌の方針を説明し、いただくものである。その結果としてファッションブランドやプロダクトメーカーの広告が入るということは雑誌の長期的なイデオロギーとして多岐にわたるデザインを横断して記載する意図が見えてくる。また、難しい理屈抜きでビジュアルとテキストで訴える誌面、図面という建築の世界の人間のための見取り図が掲載されていないことから、誰でも理解できるような構成になっていることが一般向けと判断した理由である。平面図はその建築の世界観を表す最も客観的なものである。さらに建築家そのものを全面に出すだけでなく五十嵐太郎藤森照信などの建築史家を抜擢し、解説を加えることも一つの理由としてあげられる。
今回のこの号でもそれは実際に行われている。脳科学者の茂木健一郎藤森照信の対談により建築家としての藤森が解説され、さらに藤森照信伊東豊雄の対談により伊藤豊雄が解説されている。新鋭建築家と称される若手20名の紹介に加えて、五十嵐太郎の全体をみる上での解説が付いている。
さらにこの号の見どころは、「越境する建築雑誌を振り返る」と題して70年代における「ラディカルな雑誌」の特集である。イタリアのカサベラ(アレッサンドロ・メンディーニ)、日本の都市住宅(植田実)を紹介していることである。そこまで深く突っ込んでいるわけではないが、60年代を終え「主流」であるとか「正統派」という言葉自体強度を失ってきた時代において、スーパースタジオやアーキズームといった当時無名だったが今では世界中に知れ渡るほどの存在感を持つ建築家を記載したカサベラと、同じく無名の建築家を紹介することをメインにしていた都市住宅を現代と重ね合わせて再考する試みである。

建築雑誌が低迷する現在、このような試みはかなりクリティカルなものに映る。雑誌が雑誌を紹介する行為自体、建築雑誌ではもちろんのこと、デザイン誌しかできないことである。一見、「デザイン誌」というカテゴリーの自己の正当化のようにも見えるが、これは建築の周辺ですべてが回っているという証明である。それを横断的に記載すること、おそらくこれが現代の雑誌における批評性ともいえる。



ニッポンのモダニズム建築100 (マガジンハウスムック CASA BRUTUS) 「casa BRUTAS」 特別編集 -  ニッポンのモダニズム建築100 2008/07/10
ファッションと建築 人のいる建築写真 服か建築か