横浜の山と谷の連続的なアップダウンは移動によって見える風景を大幅に変える。都会に高層ビルが建ち並び、その光景に慣れてしまっているため特に気にはならないが丘の上に建つ住居もある。それは劇中では丘の上に建つ天国のような場所とその眼下の3畳の部屋という対比によって憎悪の根源として描かれる。経済成長が生み出した格差と共犯関係を組む地形は事件を生み、2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生したテロ事件に象徴されるような成長における否認行動の縮図として展開する。しかし、そこには経済発展の象徴としての効率性が追求されたテクノロジー同士の衝突ではなく、経済成長期に生み出された格差と地形による人間のシンプルな感情からの自己崩壊が描かれる。

 2001年9月11日にアメリカ合衆国で発生したテロ事件は、真意がどうであれ世界で大きな影響を与えるグローバリズム、資本主義潮流の中で経済的権力の大きなアメリカに対するテクノロジーを道具とした否認行動と捉えることができる。すなわち、ワールド・トレード・センターボーイングの衝突は経済的権力の象徴としてのスカイスクレイパーとそれを破壊する飛行機を使用した、同じグローバリズム、経済成長から生まれたテクノロジー同士による自己崩壊である。そこには資本主義という大き過ぎる潮流の自壊を象徴する光景が映し出される。そして日本においても高度経済成長期という資本主義時代の始まりが存在し、内部崩壊が『天国と地獄』でフィクションとして描かれている。
 『天国と地獄』は1963年の作品であるが故、劇中に出てくるものは今となっては時代遅れのテクノロジーばかりである。犯人が絞られていく過程ではその不自由さで犯人への焦点が定まって行く。劇中では重工業の工場や電話付き特急列車、焼却場、トヨペットクラウンなど高度経済成長期を象徴するテクノロジーが登場し、恨まれる権藤の家は冷房が効いているという生活の質の高さとスラム、警察署の扇風機が格差としてのコントラストをなしている。そしてそこに「見下される」という人間のシンプルな感情、すなわち共犯関係としての地形が登場する。
 今ほどの数が日本にスカイスクレイパーの存在しない時代に、高さという象徴は権力や威圧として敏感に反応されていただろう。さらには犯人の医大生の住む位置はちょうど丘の上の権藤の豪邸から見下ろされる小さな安アパートで、その格差と地形のもたらす相乗効果が反抗へと導く。
 ボードリヤールは「人々はどこかで、ツインタワーの消滅を見届けたいというひそかな願望をいだいていた」と語っている。このことと同様の発言が劇中にも存在する。それは捜査中の刑事が「確かにあの丘の上の家は偉そうだ」ということを言っている場面がある。これはどこかで社会の歪みが象徴化されることを誰もが予測していることを示唆しているともいえる。すなわち、誰もが社会システムの変化において現れる格差によりこのような事件が起きることを感じていたのである。
天国と地獄<普及版> [DVD] 1963 天国と地獄/黒澤明