新建築 0807

 1960年代、アーキグラムという建築家が存在した。といっても彼らは自信の作品を実現させることを目的とした集団ではない。科学技術により大きく変化する世界の未来像をドローイングにより表現する、アーティストに近い存在である。1960年代は、未来の可能性に満ちた時代であった。アポロ宇宙船の月面着陸、43歳のケネディ大統領当選を始め、時代のサブカルチャーが突如としてメインストリームに躍り出た。
 そんな中、アーキグラムは巨大な足のついた可動型都市「ウォーキング・シティ」や「プラグイン・シティ」を構想する。いや、おそらくこれは構想でははない。現実のリアリティから遠くはなれ、2次元という重力も社会も何もない世界の空想である。この未来への空想から科学技術への期待を感じられる一方で、現実の世界から乖離した「建築家の」ドローイングには建築が科学技術の旗手を航空機やロケットに譲ってしまったという現実を表現した、敗北のマニフェストとして象徴される。

 隈研吾による巻頭論文に興味深い指摘があった。それは「マスメディア、ポスターの20世紀」である。それは単にマニフェストとしての大きな構想ではなく、自分の「グッズ(建築)」を売るための広告ツールとしてである。

 隈氏は論考の冒頭で市民の権利意識の増大と官僚機構の肥大・複雑化が都市の面的更新を不可能にした20世紀だからこそコルビュジェ丹下健三が「大きなポスター」として途方もない絵を描いたのではないかとしている。それは夢のようなものとして壮大で誇大妄想的な絵ではなく、「グッズ販売促進のためのポスターとしてである。装飾のない一見平凡な建築を売るため、特別なものとして見せるためには背後にある大きな世界を描き、それと結びつけさせることで単体、つまり部分の価値を向上させるのである。しかし、そのグッズとポスターを結びつける行為に対して反旗を翻した建築家がいる。それは磯崎新である。磯崎は「エレクトリック・ラビリンス」の中の「ふたたび廃墟となった広島」で秩序ある世界を提示することに疑問を抱き、それらのポスターをポスターで全否定した。さらに、「大きな絵=都市計画」は無効であり、グッズの外側へと想像力を拡張すること自体を否定した。このことは磯崎が優れたメディア・アーキテクトであることを意味する。つまり、ポスターというマスメディアは「世界」を作り出すことと逆にそのこと自体を否定できるというメンタリティを見抜き、それに対し最も効果的なポスターを投入したのである。

 この論文の本論は、都市に対するスタンスとして述べられている。ポスター以外で都市に参入していくことはどうすればいいか、である。氏は論の中で投資家を集めるためのポスターとして利用され、それが自分たちのミス、つまりポスターがポスターとして効力を持つ時代ではないことを気づかなかったといっている一方で、隣接敷地との対話により都市へ徐々に参入していく過程を述べている。都市計画としてのポスターのような夢は具体的な効果が得られず、顔の見えるオトナリの肩を叩くところから都市計画は始まっている、と。

 この論文は都市に対するスタンス以外にも、現代建築家を取り巻くメディアを論ずる契機になる。つまり、マスメディアとして不特定多数へのポスターが効力を果たす時代は終わり、個人的ツールとしてのインターネット、展覧会、書籍、シンポジウムなど建築家一人一人に対応したメディアの役割が大きくなっているということである。これは、建築家がメディア・アーキテクトというもう一つの側面を当たり前として表してきたことだろう。

 確かに最近の新建築はエキシビションの掲載が多い。今月号であってもグレン・マーカットの展覧会、シンポジウムに対応してのインタヴューや青木淳、ピーター・メルクリの展覧会報告など4件に加えて建築家が加わったエキシビションみかんぐみやザハ・ハディッドなど5件になる。建築家がポスターとしてのマス・メディアから個別でインスタントな情報発信への転換しつつあることを見ることができる。さらにここで新建築は必然的に個人的ツールを網羅する媒体となる。