都市からは慣れて自然の多い中に立ったとき、久しぶりの静かさにおどろいた。
だがそれは都市の寂しい早朝の静寂ではなく、都市のダイナミズムを内包しない、自然であたたかな静寂だった。
佐久平駅から見える風景は自然というインフラを含む、鉄塔、幹線、自動車、ジャスコというおおざっぱな風景。
カオスといわれる日本の都市とは対照的であるヴォイド的な風景。どこにでもあると言われればそうに違いはないがいつでも体験できるわけではない、一度の蓄積しか許さない風景。
おそらく、違いはそこにある。カオス的風景は積層を繰り返し、幾度もなく姿を変えるがはっきりとは変わらない。時間をかけて変わっていく。一方でこの風景にはタブラ・ラサをまだ感じることができる。白紙という絶対的存在にインフラという圧倒的存在。この二項対立はこの風景を定義づけるためにお互いをお互いで支える。
自然以上に人を寄せ付けない風景の力。マクロ的強靭力ともいうべき地球的空間だ。