10+1 No.49 特集=現代建築・都市問答集32 JA 70 SUMMER, 2008  風景の解像力  30代建築家のオムニバス 提唱/批判的工学主義
批判的工学主義は、場所など、建築をめぐる非制約性の社会的条件を明らかにするリサーチと、その社会的条件の再構成と形式化である設計とを不可分なものとして位置づける。
この文章から得られる構図は、レム・コールハース率いるOMA/AMOの活動を彷彿とさせる。コールハースは、建築家が建築を設計するだけでは現状のグローバリズムは乗り越えられないとし、社会に対し積極的にリサーチを行う機関としてのAMOを設置、シンクタンクとして機能させている。
この他にも、MVRDVやアトリエ・ワンなど、都市論、リサーチをベースに設計を行う組織も存在する。歴史的に行われてきた作家論からの建築への昇華、またはマニフェストとしてのメディアからの現状への移行は、本来的な建築ジャーナリズムの変革さえも余儀なくさせるようにみえる。
「批判的工学主義」のマニフェストでは以下のように述べられている。

新しいタイプの権力が作動し、物理的環境としての建築に新たな意味が見いだされつつあるのは公共建築や住宅というよりも、これまで建築家の議論の外部にあった不動産やインテリアの領域においてである。
この新しいタイプの権力とは、言うまでもなく資本主義社会における効率性や経済性から物理的空間にまで昇華させる権力であろうが、ここでのリサーチの役割は、建築を取り巻く状況としての社会条件にアプローチすることにある。さらにこれにより検証され、設計に落とし込む、または導くための方法論を得る。さらにそこに建築的思考を介入させ、極度に均質的な建築的制約を回避し、グローバリズムの乗り越えを行うのである。

タイトルで示した「ジャーナリズムとしての批判的工学主義」としたのは、現在も出版され続けている建築雑誌の中で批判的工学主義がジャーナリズムの道標として提示されているように感じたからである。
もちろん、現存の建築雑誌が不要ということではない。今の建築ジャーナリズムとしては現状のままでは不十分ではないか、ということである。作家的な情報はもちろん必要である。しかし、コールハース世界経済フォーラムで建築家が直面している危機として挙げた、3つの問題、すなわちグローバリゼーションの中の立ち位置を先導する役割として、前述のリサーチまたはAMOのようなシンクタンクの存在も必要とされているのではないか。作家性や空間が語られる建築が花であれば、その根源であるクライアント、さらに経済とは根である。花を追いかけることももちろん意義のあることであるが、今必要なのは建築側から疑問を投げかけ、グローバリズムの波に呑まれることなく建築、空間の自律を確保することで建築文化、さらには社会のアウトプットとしての建築空間の質を維持することにあるのではなかろうか。

70年代に日本建築家協会と公正取引委員会により行われた独占禁止法を巡る審決では建築家という社会的立場のあいまいさが表面化し、にもかかわらず最終的には家協会側が憲章の一部を取り除くという消極的な終幕で締めくくられた。この問題では今までうやむやにされていた建築家の職能の問題が浮上し、実際に後半の家協会の行動には社会に対し利益を追求する事業者ではなく建築文化の向上を目的とする立場を確立しようとする努力も見られる。つまり、逆境にあるときこそが最大のチャンスなのである。重圧としてのしかかるグローバリズムの中で建築界から建築を解放し社会への介入を計ること、それが今の建築界には必要なのである。