Y-GSA 建築都市学 八束はじめ氏「Global City Studies」
八束はじめ氏は建築家であり、芝浦工大の教授、いまだにロシアアヴァンギャルドの研究者だと思われているのをどこかで嘆いているのを見たが、現在は今回の講演の主題でもある都市、建築の研究者である。東大丹下研だったことの影響でか、建築と都市、両方を扱う研究を行っている模様。
 序章として世界に目を向けた都市の変容、hyper density、都市の密度に関する密度あるスライドを都市の変容ぶりかのようなスピードでレクチャー。現在進行形でグローバリズムというのが進行中でもあるにかかわらず、生活の中でそれを感じることはない。それを視覚化するのは常にコールハースであり、そのコールハースとの対話がレクチャーの中で挙がってくるのを聞いていると、日本語に翻訳されたもののみでコールハースの情報を得ようとしている自分の過ちに気がつく。建築家としてではなく、それと並走する第二のコールハースともいうべき編集者、またはジャーナリストとしての彼(あるいはAMO)は決して無視を許される存在ではなく、その存在こそ建築界においても新しい秩序やビジネスモデルを発見できる唯一の人物である。
 mutationする都市の変容でデザインという言葉の意味の変化を体現する彼を引き合いに出しながら、前提としての密度を掲げ、ストラテジーヴォイドの可能性としての長慶マンションなどのスライドへ。無機質なファサードの裏に多くの人間を抱える高密度な高層建築。自然発生した九龍城の光景が作られたものとして存在する。都市が高密になるほど生態系は維持しうるという人口の自然的な建築。以前、軍艦アパートという超低家賃の集合住宅の調査に訪れたときの記憶が蘇った。すでに人が立ち退き、そこには誰も存在しないはずの場所であるにも関わらず、住民の手によって好き勝手改造された室内には生態系ともいうべき存在の証拠があった。さらに、家具や食器などの物品もそのままであるため、どこか生活感の残る室内は廃墟というよりむしろ無機物である建築以上に密度を加算したような場所であった。この足し合わされた過度の密度を作るための条件が人口の集中による密度である。そこにはヴォリュームの足し合わせによる計画性ではなくヴォイドの戦略が必要になる。
 世界のグローバル化がひと段落すると、次は研究室の課題でもある「東京計画2010」の話題へ。
豊洲に位置する芝浦工大の立地はベイエリア、もしくはウォーターフロントで、都市的な良い建築の生まれない独特のコンテクストを持つ。反建築を生む場所ともいえるここで、研究室では
10kmに及ぶ計画する課題が進行中らしい。狙いは二つ。一つは建築的な手法ではなく濃度分布など人口、量の問題。そしてもう一つは10kmという長さから生まれる表記方法の問題。東京への人口の集中という量の問題を踏まえて都市を解くには、建築的手法ではなく、別の思考が必要になる。また、10kmという大きさは、1/1000のスケールにしたとしても10mであり、本来の建築表現を逸脱するものにならざるを得ない、小説や地図やもしくは今まで見たこともないような新しいメディアを想定しなければならない。