今の建築雑誌には批評性がない。そう言われて来た。ぼくもそう思っていた。
しかし、歴史的にも建築雑誌の代表である「新建築」にそれが必要であるといえばそれはまた違うんじゃないかと思う。
それは、建築家の定義に関係する。建築家とは、ただ単に家を頼まれて設計する人ではない。建築、都市のパイオニアである。つまり、現段階でできるものだけで満足するのでなく、常に構想し、未来を創造していく役割である。技術の世界では、ああしたいこうしたいということを目標に技術を進化させ、常に研究が進んでいる。目の前の研究は、将来手に入れるべく進んでいく。建築の場合それは空間であり快適性である。技術を促進するイメージを描き、実現まで至らしめる、または試行錯誤を重ねる事こそが建築家であり、「新建築」はその情報をもたらす過去、現代への批評である。
しかし、その「新建築」も批評的記事を掲載した事がない訳ではない。かの有名な「新建築問題」である。
当時の編集部員がアンケートをとりそのまま載せたものではあるが、ここでは商業主義への傾倒として建築作品が編集されている。つまりこの時代、建築家の作品は文化的作品であり高度資本主義社会による商業主義に身を売る事はタブーとみなされていた訳だ。このころ、公取と家協会の論争も始まっていただろう。しかし、現代の高度資本主義経済下では、それを乗り越えようとする運動が随所に見られ、作品として立ち上がる姿をぼくたちは目の当たりにしている。
建築的意匠をブランディングに活かそうとするファッションブランドを筆頭に、建築、空間の力を活かし空間体験で差異かを図ろうとする事業者が建築家に目をつけたのである。そしてその傾向を逸早く察知し建築サイドからの介入を図ったのが他でもないレム・コールハースである。