朝から京都へ。当初の予定は二人だったが、思わぬ怪我のためひとり宇治へ向かう。電車の中は常に爆睡だったが、全て降車駅で降りれた幸運。
今回の目的は紅葉だが、一人になったため、まだいったことのない建築を紅葉の雑誌を見ながら巡る事にした。

宇治駅で降車、平等院鳳凰堂へ。紅葉はまだまだらしく、人も少ない方だった。しかし、鳳凰堂の資料を保存する建築はなかなか見応えのある物で、収蔵品とともに作られる展示空間は壮厳な印象。また、木目のコンパネを使用したコンクリート打ち放しの壁は重々しく、重厚なイメージだが、ほとんどが地下空間になっていて外部の軽いファサードとの対比が興味深い。


宇治川周辺をぶらぶら、中途半端に色づいた紅葉に満足がいかず、頭はあまり働いていないのにも関わらず足が次の場所へと導く。JR宇治から一本で行ける東福寺に行く事にした。ここは雑誌で一番人気の場所とされていたが、降りた瞬間に聞こえてきた「乗車する方が多いため列車が遅れております」というアナウンスで覚悟を決める。
そのアナウンスが暗示する通り、東福寺の一番の紅葉の見所である「最初の橋」は進めと叫ぶスタッフの声を素無視、写真を撮りまくる人々。おそらく遠方から来たであろう団体客の何でも写真に収めようとする執念には感服した。もったいない精神満載の超団体パワー。しかしその気持ちもわからなくないほどの紅葉で、完全な時期は少し過ぎた感があったがそれなりに見所のある風景が東福寺全体に広がっていた。


東福寺には二時頃に到着、三時には順路を回り一段落した。ここで帰ってしまうのももったいないと思いつつ、真っ赤な紅葉をピンポイントで撮影していたとき、どこぞのカメラマンかわからないがアマチュアっぽい、おそらく自分で獲得したであろうカメラテクニックを二三教えてくれた。今まで構図ばかりを気にしていたぼくのカメラテクについて、名前もわからず消えてしまったが、基本も知らず撮りまくっていたぼくにとっては、生の教えをしてくれた人生最初の人物だった。

光は写真の血であること、カメラという道具で対象、風景を切り取るということ、撮りたい対象とその背後の関係など、言葉ではなく経験として少しの間だが撮った写真を見せてもらったり自分のを見せたりしながらでご教授いただいた。今まで見ていた光や覗いていたレンズに新しい意味が加わり、単なる障害でしかなかった夕日や一つのトリミングとして風景を切り取る事を意識してとることを考え始めると夢中になりすぐ日が暮れてしまう時間になってしまった。こんな当たり前のことは誰も教えてくれなかったので、自分の中で重く沈殿した感覚がある。感謝感謝。