PM 21:15 実家を発つ

人はみな寂しい生き物だ

澄んだ空に輝く月は一人駅へと向かう語り続けた。
思考の余裕を許す夜の生温い気温は絶え間ない哀しみと静けさをどこからか連れてくる。

おそらく今年は去年ほどここには来ないだろう。新たなものを求めるにはここは狭過ぎることを文明は教えてくれた。
文明は発達しそれが人と人を裂く。人と人は決して文明の力だけではつながる事はない。
しかしどこでもないここには以前は来させるものがあった。
それは弱さだった。誰のためでもない自分の弱さの擁護。それはもう存在しない。しかしそれは孤独であるということではない。
周囲に生命が存在しない、もしくは自分にとってその存在の意味がない孤独。
帰るべき場所、自分という存在の意味を確認できる存在の不在。

毎日不毛な文章を生み出す自分。自分に向かって発信し続けることで何かを忘れようとする。あるいはそれ以外の方法 ― 目の前にいる人や事、物を思考消費にすることで人は進み続ける。それら以外に孤独を解消するものはない。


PM 21:50 大阪駅桜橋口バス停留所

単調なアナウンス、一時的にどこにも属さないとされた人々の群れ。
孤独の空気、存在の不在。
文明が明らかにした人の心に沈むそれぞれの空隙。


PM 21:56 友人からブログ開始のメール

以前会った友人と同じくらい自分にとって大切な友人。
読むという行為をすることにより初めて意味をなす文章は人と人をぎりぎりまで迫らせる力をもつ。場所を越え、時間を越え、空間を越えて。
文明の力で彼とまたつながりをもつことになる。