生物と無生物のあいだ (講談社現代新書) 動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか 生物と無生物のあいだ動的平衡/福岡 伸一 講談社木楽舎

モダニズムの終焉から現代に至るまで芸術、デザインの分野でも様々な模索が行われてきた。自律性を求めるがゆえの文化、周縁との断絶。大きなイデオロギーである完結的な機能と表現。都市においては経済的な効果による開発によって量だけが目的の建物が乱造された。都市、街には無味乾燥な空気が流れ、数々の地方都市が困窮の状況に陥った。これらの表層を打ち破る未来の都市はどのような姿なのだろうか。ハードだけでないソフト、つまり人とのつながりを実利的に求めることに加えて、風景にも表象が求められる。
富の象徴でもあった米ゼネラル・モーターズの破綻は、利潤だけを求めて環境、消費者を顧みなかった結果である。金融資本など人や環境という人間、地球、そして全ての生物が生きるための脚元を見ず極端な追求が社会の破綻を起こした。しかし、市場という普遍的価値が失われる、なくなるわけではない。これからも社会の発展のためには必要な要素である。つまり、環境と開発などの二項対立の中間地点である両者を共存、共犯させつつバランスを保つこと、良識を保つことが不可欠になるはずだ。
著者である福岡伸一氏は生物学者である。そしてこの本は生物学の本である。生物とはこの地球を構成する無生物以外のものである。「動的平衡」。生物であることの定義でもあるこの言葉にはいままでにない感覚をもたらすように思える。
「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」。これが両書物を貫く根本的なマニフェストである。
環境との平衡状態を維持しつつも、体内では常に細胞がうずき、古いものから新しいものへと流動的な変化を行っている。むしろ、平衡状態を維持するために、分解と再生を繰り返す。このことはもちろんそのまま人間にも当てはまる。久しぶりに会った友人を識別することはいとも容易いことであるが、生物学的には全く新しい細胞で構成された生き物であるという。
体内では微細な細胞が動きながらもわずかに変化していく。構成する分子に依存するのではなく、流れという動きの効果として、生命のシステムは成立しているのである。
生命に対する新しい事実。構図的な生命、様相などのいままで世界を踏襲していたカルティジアン的な捉え方は、バイオテクノロジーの失敗だけに留まらない。都市文化の変容、そして都市の表層の変化まで促す。それは経済のダイナミズムに巻き込まれた文化でもある。グローバリズムの最先端に君臨する者のための「有料の」文化。いつから文化という言葉は雑誌の特集で率先される存在定義になったのだろうか。土地、地域との共犯関係で成立するはずの文化は浮遊しヴォリュームのために生み出された箱に組み込まれるものになった。同時に生活と密着していた建築文化もそのダイナミズムと相乗し、周囲の環境と対話しない自律的環境へと進化していく。そのなかでプログラムとして人間活動が行われる、流れるということが最大の意匠であるかのように建築空間は自身の呼吸を止めたのである。
いま、世界は混迷の最中にある。貨幣という普遍的価値の行き着いた先が量とそれに対応する価値基準だけの支配である。それは元々地球上にあったものではなく人間の合理性の部分だけでつくられた地球外基準であり、その行き過ぎが地球の破綻を示唆するのは当然のことだ。

この本では普段私たちが見ることのないミクロな世界について興味深い見識が展開される。未知の世界が地球上に存在しているのにも関わらずそれに見合わない世界を構築しつづけた人類に新しい革新的な視点を提供する。「動的平衡」という言葉自体が誰の言葉かわからないなど辛辣な評価も見受けられるが、ここではそのような学術的なクレジットの問題はどうでもよい。この新しく、リアリティのある視点から生み出されるものこそ地球と、本来地球に寄り添い進化してきた人類に見合う可能性がある。