人と接するということも近景を描くことである。最初は仮面をつけながらも遠景を作り出すことを目指すも、全てがうまくいくわけではない。その関係性のなかに遠景、つまり普遍性を見いだすのはただ過ぎるものを受け取るだけで成せることではない。ただ受動的に受け止め、消費するのでは何も見いだせない。無意識につくりだしてしまう自分の仮面を取り去り、生の心に響く音を聞かなければ、それはただ流れ去ってしまうものになる。
そこには、ただただ自然に、どこからともなく流れる協和音のように一致する調和が完成することもある。緩やかに結ばれることでつくりだされる時間と空間。互いの尊厳がぶつかり合い、滑らかな時間と空間を得られることは、普通に、自分が心地よいと思える空気のなかにいられる、喜びであり、尊さに満ちている。
人間一人ひとりの時間と、大きな時間が同時に流れ、交錯してはパラレルになることをくり返すこの地球上で、その時間は風化することはない。