どこまでいけばいいのだろう。
自分に問い、自分で答える以上に、自分で考え、自分で動くということすらも「自分」というアイデンティティのなかで納まってしまっている。結局は井の中の蛙だったのか。もう、自分の問題なのか、他人の問題なのか、はたまたもっと大きな関係性の問題なのか、わからない。自分の生活がただの悪あがきにしか見えなくなってくる。
他人を消費する人間ということについて、以前にもここに書いた気はするのだが、それが最近、自分に帰結することがわかった。ぼくは自分の意見をいっているのではなく、誰かがつくった社会のルールを解釈していっているだけなのではないだろうか、と。だからそこに重さはなく、消費対象とされても仕方がない。大人っぽいであるとかよく言われるがそれはぼくに対する意見に限って言うと決していいことではないように思う。決定することを躊躇するという個人的なプロセスが介入してくるからだ。そういう意味では明らかに自分は大人の仮面をかぶった子どもであって、表層に左右されるということを受け入れてしまっている。