研究室籠り。
「歴史」という大きすぎる枠組みのなかでに入っていこうとする自分と、これまでいかに表層的に言葉を追っていたかを実感する。今でこそ情報という言葉の連鎖として何かとてつもなく近代的なニュアンスのある言葉として成立しているが、歴史観というものほどその体系と部分の調律を完成させられるものはない。歴史の一部分は意味のない人にとっては意味のないことは、時代の一部分としての情報が意味のない人にとって全く意味をなさないのと同義だ。