横浜「ラ系」宣言 三谷徹×石川初 対談 @北仲スクール
「都市と庭」というタイトルで講演を始めた三谷徹氏は千葉大ランドスケープを専門とする教授である一方で,建築家,槇文彦氏などとランドスケープと建築をつくるランドスケープアーキテクトである.
氏はJ.B.ジャクソンの「家、道、庭」が都市を構成するという主旨のテキストから今,ガーデンを忘れがちなのではないかと提起する.その中でも,都市を構成する神殿的空間,つまりパブリックにランドスケ―プが偏っているのではないかいと.
19世紀オルムステッドが「ランドスケープ」という言葉をつくり,ランドスケープアーキテクトとガーデナーとを区別したのが近代であるが,現代のランドスケープアーキテクトも庭がつくれないとだめなのではないかと言い,都市と大きな庭を歴史的に考察していく.
イタリア,ルネサンス式庭園のヴィラ・ランデラからは庭は都市のなかの結節点として捉えられていない。庭を都市といっしょにみることの重要性が窺える.ベルサイユの庭園は庭園建設後にノートルのヴォキャブラリーの反転で都市ができる。北京、彦根も,大きな都市が庭を内包している。大きな庭園ばかりではなく,小さな住宅がそれぞれにもつ庭も、細胞のなかのミトコンドリアの様に街のあり方をつくることがある,庭を内包した都市づくりが行われているという.フィレンツェでも,個別の家の庭によって都市ができているように見ることができる.日本における町家の通り庭も同様である.
家が都市の細胞なら庭は核であり,庭の集合体としてだけで都市が語ることができる.
ラドバーンは都市計画的に有名な街であるが,前庭は車、バックヤードをまとめて歩道にすることで歩者分離をおこなっている.これも庭の原理である.町家の庭が螺旋になったようなものであり,建築の構成でもあるが、庭の構成ともいえる。
都市の解析を庭から行い,庭を知ると都市がわかり,文化圏は庭に現れるのである.
ここで,研究室の大野君という卒業生の修論を紹介.
江戸水系に関する研究であるが,明治期の測量地図から池らしいものをピックアップし,庭のあり方を模索するというもの.水道がつくられた人口河川があり,それに付随して庭ができる。それをタイポロジー化する.それが調整池の役割をもちながら河に流すも「谷戸型」,平地の水はけをよくするための「低地型」氾濫源、堀と一体になっている「沿岸型」に分けられる.その地下鉄駅の散らばり具合との類似性を発見し,地下鉄駅の庭園化を提案する.
ここからは自身のプロジェクトを紹介する.「プライベート間」というキーワードで公開空地を再考する.品川セントラルガーデンでは大きな庭の中にいかにプライベート間を持ち込むかを思考したという.旧海岸線埋め立て地のドックだった場所であり,暴風に対しては白樫飢えている.真ん中の地下一階レベルでパブリック的空間としていかに公共空間が私有空間たり得るかを模索する.バブル期に計画された公開空地をかき集めたプロジェクトであり,半分は品川区,半分は港区である.政治的分割はされながらも、空間でどう統合していくか.強い一つの場としての統合を主張するために,一つの樹種で埋め尽くす計画を考える.
また,誰が世話をしているのかということに興味があり,「品川千本桜」というプロジェクトをを考案.桜の名所をつくろうとした.桜の木を貸し出して一年世話した人がそこを自分の世話したところを占有して花見ができるというものである.さらに,周囲に堀をつくり,橋がつくることで,誰でも来ていいという公共性に疑問を感じ,何かをまたいでくるのもいいのではないかということを問うた.
そして桜が植わっているところは浮かせ,広場は避け,森という形にすることで,それぞれ自分の場所,単位空間を見つけさせることを発想している.諸外国の広場の認識と違い,日本人はパブリックにプライベート間がなければ利用できないという.フォリーの襞に人がいることを実現した広場に対するアンチテーゼである.
また,氏は現代のランドスケープ的課題である超高層ビル同士の隙間に関心をもつ.日テレと資生堂の間のプロジェクトでは,プラザをつくって構造柱がでてくるので、神社の境内のような場所をつくりたいと考え,その柱にキャラクターを与えることを考案している.アメリカのシーグラムビルの脚元などに代表されるように,やわらかく根ざしているのではなく自分が隠れれる場所をつくりたいと考えている.この発想は西洋の広場に学んだ芦原義信と真逆である.
西梅田エントランスプラザでは超高層ビルの脚元をどう人間的にするかを思考した.ポーラスな状態つくり地下と地表をつなぎ,一階から地下に向かって緑が生えていく計画である.地下側からは上から光が落ち,建築内部からはガラスなどのレイヤーを重ねた向うに地下街が見える。
容積率建蔽率の関係で公開空地はつくられるが,何かつまらない。私有しておいて密度の高いものの中をこそっと人が歩く方がいいのではないか,と氏は言う.

現在横行している屋上緑化に対しても疑問を感じることがあるという.ニコラス・G・ハイエックセンターでは,4層分の緑団を設計しているが,本当に建築を緑化する必要はあるのか,大きな広場つくればいいのではないか,緑面が増えるからビルを建ててもよいという免罪符にされていることに疑問がある,と.
しかしその政治的流れに共犯する形では別の視点を発見している.それがハイエックセンターのテーブルと椅子がある一階部分である.一定の時間を過ごすことで街のリビングルームになり.活かされている緑でも水が滴ったり自然があるということがわかる,庭になっている。普通の住宅地で緑が私的占有のために緑を使う軒先園芸的に,それをビルに援用するが、ここでは奥に入り,マイナス一次境界が発生している.そのマイナス一次境界が並んだらおもしろいのではないかと.ここでは緑より家具が大事であり,建築の上に秘密の庭を造るようなものである.
そのような文学的秘密を内包することが庭を考えることに必要なことであり,コルビュジェも3分の2が庭の理想都市を描いているし,アーキグラムも構造,設備を一体に計画することをドローイングに掲げているのではないかという.
神殿,家,道は形態でランドスケープをつくる近代的思考である.アルベルティは「都市は大きな家,家は小さな都市」と言い,オーギュ・スタンベルグは「都市文明は自然を指向する」と語った.このことを踏まえて庭と都市を改めて再考する.「都市は大きな庭,庭は小さな都市」である,と.

次の講演者の石川初氏はまず,三谷氏の話から,庭が土地のもっていた環境と個人的な庭師との関係を示し,個人の振る舞いが都市と直結しているおとを確認して,自身のプレゼンを始めた.
「地形図がもたらす土地の見方」をテーマに,地図から地形の特徴などを抽出していく.手始めに,東京の地図で,同じ縮尺で空撮をとると通常のものとはうつっているもの、読み取れるものが全く違うことを示唆.情報の差異,つまり緑、地形、インフラがどのようなアナロジーで構成するか,である.
国土地理院の航空からレーザー記述はとてつもなく精度が高い.10㎝単位で微小地形をプロットするのだと言う.それを見ていくと都市の微地形タブ区切りテキストであり,数字の羅列が地形を描く。標高の色分け海抜0から100で地形図を描く。細かい地形を表示すると地形の歴史的重層が現代の微地形として残っている.高度な都市化の裏にどういう地形が潜んでいるかを提示しているのである.
埋め立て地という地形は,海岸線に行くほど標高が高い.江戸川区で最も標高が高いのは葛西臨海公園となるくらいである.最近の埋め立て地ほど高く盛る傾向にあり,中央防波堤外側処理場では残土でシュールな地形を構築しており,レジ袋でつくられた山が白くなっている写真を提示.おもしろいのでHPから拝借した.


都心部の地形は地形がモザイク状になっている.これは地形にかかる平坦化の圧力による.一つひとつの地形では平坦化されるが,大きなレンジでは地形は温存される.戸立て住宅地の方が地形が温存/解像度が上がるのだという.屋根に地形がシフトし,地形は屋根と地下(下水の流れ)にシフトすることになる.
ここで東京都の地図に浄水路,汚水路をプロットしてみると,上水路はウェブ状になり.圧をかけるからどのようにしてもまばらになるのに対して,下水は圧をかけないために地形を描くのである.その結節点が住宅の手洗いやトイレであり,瞬時に浄水から汚水へと水が変化する場所である.
次に,横浜に関する考察.マンハッタンのセントラルパークは横浜駅から中華街くらいのスケールであり,都市スケールとしてはボストンに近似しているという.
グーグルアースの衛生写真と地形の高低を色分けし,オーバーレイした地図をみると,地形にそってインフラと宅地が追うが開発が困難なところは残り,そこは緑地になっていることが多いことがわかる.写真を撮っていないのでここで掲載することはできないが,グーグルアースと高低差による色分けのオーバーレイはかなりおもしろいと思う.
余談であるが,国土地理院は大桟橋は地形と見なしている。その証拠にグーグルアースの3Dを解除しても,大桟橋のヴォリュームは残ったままである.
また,関内は計画都市である一方で,中華街の立ち方の違いを指摘.建物一つひとつが土地により振られており,独特の領域感をもつ.輪郭の認識も違うのは明治からだという.砂州が横浜村だったが、新田開発のグリッドがそのまま パターンとして生き残ったのではないか,と.
3Dの地形図に戻ると,野毛山付近では都市化が地形と出会って都市の論理(グリッド)を崩さざるをえない状況になっていることがわかる.その位置をフィールドワークとして実際に歩いてみると,高低差のある住宅地にある緑はどこからでも見える.また,北向きの住宅は前面通りよりも上に建とうとする傾向があること,地形と住宅地が互いに空間の占有として競っており.あまりに斜面が大きいとお互いに関与がなくなったような風景が現れることがある.
ここから抽出されるのは,地形の資材性である.丘陵地の設計において,地形のパフォーマンスを利用できる可能性がある.また,都市化できない土地に緑が残るという結果.もともと使えなくて残るのであり,最良の環境というわけではないことから.都市の方が緑の生息しにくい場所に構築されたらどうだろうかと提言.それこそがエコロジカルな関係性であり,土地のパフォーマンスを上げるべきではないかと.
最後に大余談であるが,大和屋シャツ店は石川初の曾祖父の店であり,「石川町」「大和町」として名が残り,現在は銀座に店があるという.

対談では,石川氏の上水/下水の話から水をどう取り入れるか/出すかという話になる.三谷氏が滋賀のフィールドワークで湧水で洗濯したりする上,水が入ってくるとこでるところがデザインされているところがあるが,庭は閉じられているのが一因ではないかと.それに対して石川氏が流れが一瞬可視化されているところにデザインのフィールドがあるという解釈を加えた.
また,三谷氏が横浜埋め立て地には庭が散らばっていないが内部に存在することを初聞だとことから,石川氏がプレゼンしていたのはシステムのひずみがあるところではないのかと質問.石川氏は地形と対決している感じ、歴史は浅いから現在形で見れる、つかってやろう精神が横浜がおもしろい,と.
地形のモザイクのビッグネスにどう庭で対抗するかという話も出た.土木と経済にどう勝つか.どうきっかけがみつかるか.抽象的なレベルだが、階段を登る時にそれを地形と認識できるかどうか。建築を自律させないで地形に寄っかかることで身体化していくしかない.
三谷氏の地下道は二重壁で水がしみ出している京都木屋町地下鉄入り口の話から.鴨川の水をいれてる入り口は水が流れていること,雨水に対してどういうデザインをするか,という話に発展.普通の庭を想定してると未来がなく,土木スケールでどういう可能性があるか.京都では建築の排除した雨水をどう処理しているかという土木がおもしろいという.北条庭園の白砂敷では雨が吸収して砂が保水性床になっているのを,現代的,現実的にどうできるか.ここで司会の中津氏が入り,プロになってはじめて直面する水勾配などの現実をデザインのきっかけとしてどう捉えるか.水と戦いながら北条の庭はフラットに見せたい美学が働いていることを指摘.
三谷氏は昔から地下鉄に興味があるようで,ローカルな地名の集積の近くに庭?駅名に古い歴史が隠れること,駅の細かさから大名屋敷の歴史が窺える,と.東横線桜木町という駅はなくなり,ギャラリーになっていたが,公園になるという.
横浜市立大学の鈴木氏が乱入し,なぜ本庁通りが曲がっているかを提起.尾根状に下がっているのはわかってるが,横浜の開港は近代技術なのか江戸なのか,地形の山折谷折をどう読んだか歴史的に解明したいという.東京は下水道と江戸の消火栓の一致しているが,正確な微地形は残っておらず,横浜公園に日本庭園ができるが,そこはどのように山筋と谷筋を取り合ってつくったのか,江戸の土地の延長がいまの横浜なのか,風景をつくる根拠を議論した.海外でのアーバンアルケオロジーへの注目も指摘した.
その後,土木をサブカルチャーにした大山顕氏が登場し,擁壁についての議論.