グラフィックデザイナー服部一成の講演会に行く。
「ただ一度のもの」をテーマにキューピー・JR東日本の広告・CMのデザインを解く。
手書き文字・即効的レイアウトから偶発性を生み出し、歴代のキューピー広告を変えた。
一方、JRの方では、電車の一方向強制力と車窓から見える風景の偶発性を導く。
「途中みたいだけどいい空気を感じるもの」という日常的概念を広告の見方に取り入れ、違和感のない日常的広告に仕上がっていた。これは後に述べるデザインに対する服部自身の考えの現れでもある。

次にロゴ・文字自体の概念の探究でのデザインについて。
JRのCMにおいて、「自分のクセが出ない文字」という感覚を持ち出す。これは東京芸大時代、多摩美の同級生に聞いた李禹煥の講義に印象があったという。クセのない線を書けという課題は人のクセを逃れることで純粋な線を描かせるという意図らしい。「人間味がにじみ出たものでない手書きの良さ」である。図面の線もこういうものであろうか。

彼の作品はコラージュや手書きなど即興性のある表現が多く見られる。ジャクソン・ポロック抽象絵画のようなCGで暖かさなどは排除しつつも、グラフィックの完成度を高めている。「流行通信」タイトルデザインにおいてのシンボル・ロゴとしてのタイトルで、雑誌自体をどう表現するか、エディターに対しての意識改革の実践を試みる。このように、見た目のインパクトは、ディテールへの注意や日常生活での視点からアイディアを得ているようである。

最後に、服部自身の考えるデザインの位置づけの思考を語る。
即物的な写真を多く撮る中平卓馬の展覧会の広告デザインの打ち合わせにおいて、氏から発せられた言葉「自分以下でも以上でもないものにしてほしい」という言葉が心に残っているという。これはデザイナーとしての仕事の重要性を端的に表すものであるからだ。「100円のものをそれ以上に見せるべきでない」という中身以上に見せることがデザインとしてはどうなのかというデザインにおいて普遍的な課題になっている。
そしてもう一つ。デザインという仕事に対して。デザインという仕事は主体を伝える手段であり、主体でなく手段である。これはモノが売れたから良いデザイン、という数字で評価できることだけにとどまらず、どこかにちがうものがあることで人に届くのではないかという思考である。ここで服部は一つの書籍を紹介する。田村隆一「腐敗性物質」。この中の詩は詩であることだけが目的であり、言葉は意味が伝わるだけでなく意味を超えたものあるという手段と目的の位置づけをデザインに置き換えて考えているようだ。

余白の芸術

余白の芸術


腐敗性物質 (講談社文芸文庫)

腐敗性物質 (講談社文芸文庫)

以上の講演はデザインという目的を持った手段・媒体という範囲で建築ともリンクするところがあるように思った。
現代に置ける建築の目的は、やはり機能である。しかし機能を満たすというのは数値的評価と何ら変わらない。空間という絶対性があって、初めて建築という空間が経験されるのだと思う。

服部一成
1964年東京生。
1988年東京芸術大学美術学部デザイン科卒。
同年ライトパブリシテイ入社。
2001年4月よりフリーのアートディレクター、グラフィックデザイナーとして活動。
特にキユーピーキユーピーハーフ」の広告デザインで有名。