デザインソースの課題について考える。

即物的形状の建築を引っ張りだしてきてプレゼンしろって、そんな無茶な話があるか。まぁアプローチだけみたあれは今でもだめだけど。

建築家はそういうのいろいろ持ってるとか、逆にそういうの身につけといたら将来楽だとかバカみたいに聞こえる。そらたまにはあるよ。鳥の形だとか、虫とか身体とかね。コンテクストからの要求がそのまま出るってのもわかる。海藻やら流動的エンベローブってのはコンテクストじゃなくて老舗になったらたまに現れる原風景からだと思うけどね。

でも事例にダイアグラムそのままの平面が出てたから空間的なものとして解釈してそういうの持ってたら違うみたいなこといわれるし。内部空間から作った結果論的にファサードとか全体が出てくる場合もあるんじゃねえのかよ。ていうかほぼそっちじゃないの?普遍的な空間思想の形態化じゃないの?

別の子のソースとして形じゃないもののやつは可みたいなこと言ってたけどどう違うんだろうね。抽象的空間、空間としてのコンセプトと言葉がソースになってるのはどう違うんだろ。

なんでデザインソースって名称の課題にするかなぁ。建築にはデザインソースあるやん。人間が作ってる以上。ていうかないってどういうこと?って感じやん。建築勉強した上で建ててはるんやから。それを読み込んでプレゼンしただけやと思うんやけど。わかりやすいかわかりにくいかなだけ?それやったらこの課題に全く意味はないね。簡単なやつだけ持っていくんでしょ。何の力にもならんやん。現代の建築家のみなさん、ちゃんと勉強してると思うんだけどなぁ。日本の伝統的空間とか、ミースとかコルビュジェとか、ていうか過去を。

そういう事求めてないんなら、「『この建物これに似てるじゃん!』さがしてこよう課題」でええやん。それに変に説得性求めるのも辞めた方がえんちゃうん。形状を普遍的な思想で作って、個別解として落とし来んでコンテクストに合わせるってことも結構してるやろうし。建築家バカにしてるだけやん。


あーむかつく。意味わからんし趣旨もわからんし。即席で作った課題っぽいし深いこと考えてないんだろうなぁ。