前日に引き続き、アートと建築のシンポジウム。
基調講演として、妹島和世の講演。特にSANAAの作品の美術館を、新しいパブリックスペースとしての可能性を交えながら紹介。
一つのターニングポイントにもなったという、金沢21世紀美術館。一つの目的として、オープンスペースとして計画されたこの美術館は、ファサードをなくし、敷地に入ってくる方向、場所によって美術館の見え方を敷地の高低差により変化させている。2度この場所を訪れたが、確かに兼六園側と市役所側とでは視点の位置が変化していたことを思い出す。また、敷地内には学校だったころからの様々な木がそのまま植えられている。


建築の段階では、美術館のプログラムとパブリック、オープンスペースをどうつなぐかという問題があり、コンペ案の多くはヴォリュームを一つずつ与え、それをつなぐと同時に中庭を作り出す計画が多かった。しかし、氏はいろいろな人が集まれる(一人でも)場所を作るため、前述のようなストラテジーをとり、日常のスケールの延長として、天井を低くしている。美術館内部のプログラムを外に見せる、外から見られるという関係を作るためにもガラス張りの立面としている。さらに、建築と一体となったコミッションワーク、3ヶ月スパンで変化する企画展示、半年、1年で過程を見せるWSがプログラムとしてあり、その3種に対して各々の大きさのヴォリュームを与える。そこではただ白い空間を用意するだけでなくアートとの関係性を持ちながら解答を出したいと言うが、氏自身は答えはよくわからないという。これらのアートのための空間と並列して光庭があり、トップライトなどの効果とで美術館全体の奥行きの喪失をが意図され、全体としてフラットな空間になっている。

バレンシア美術館。彫刻の展示される空間入れ子とし、スキンとの間を木の下のような空間にする意図がある。そのためのマテリアルは、薄く自立する白いメタルファブリックのようだった。

ユネスコ指定の建造物が近くにある敷地に建てられたデザインスクール。透明な建築を目指したこの建築は、薄いコンクリート打ち放しの表現と窓の量的な操作、カーテンの操作により構築されている。

トレド美術館。ガラスのアートをガラスの中に展示。白に限定されず、プログラムとの整合性を求める。
アールのついたガラスの壁面は、人のみる角度によって様々な経験を含むシークエンスとなる。このガラスの反射による景観の効果は、来訪者によって作られる風景であり、「作ったもの」=「見せるもの」にならない。

ニューヨークに建てられた建築は、マンハッタンの様々な高さを経験させると同時に各プログラムの必要なヴォリュームを確保する。その上で、様々な見え方のテクスチャーをはっつける。

ルーブルに建てられる建築とラーニングセンターは共に、ランドスケープとの一体化を図った建築である。
緩やかに起伏したフロアで、プログラムを丘でわける。中庭空間は本来外部という認識ではあるが、外からは遠い存在である。しかしこの場合建築自体が空間というより環境として作られているためか、本来の外部の意味を取り戻すことに成功している。


次に、金沢21世紀美術館館長など美術館館長を歴任している蓑豊の講演。