建築的行為は技術的行為であり芸術的行為ではあるが哲学を表現するものではない。すなわち、イデオロギーというものを深く追求するものではない。しかも、社会との媒介であることに過ぎず、形成の過程においての人間的表現は少ない。これは物に対する創意のある人間でないと果たしきれないものではないか。

一方で批評、編集行為とは媒体が文学的であることに加え、時代、歴史の文脈を相手にするものである。一つの本、雑誌の中に無限の可能性とイデオロギーが詰まっているものである。

ぼくは、根底に存在するもの、大きな枠組での建築でいえば様式、最も最小のところでは建築家のイデオロギーを追求したい。それをメディアという媒体の中で表現することがぼくの創意である。つまり、ぼく自身の創意という方向性は物ではなく価値であり目に見えないものである。