シニフィアン(signifiant)とシニフィエ(signifi?)はフェルディナン・ド・ソシュールによってはじめて定義された言語学用語。
シニフィアン」はフランス語の動詞signifier「意味する」の現在分詞で「意味しているもの」「表しているもの」を指し、「シニフィエ」は同じ動詞の過去分詞で「意味されているもの」「表されているもの」を指す。


タブラ・ラーサ(tabula rasa,磨いた板の意)は経験主義の比喩。人は生まれたときには何も書いていない板のように何も知らず、後の経験によって知識を得ていくというものである。
経験論(empiricism)あるいは経験主義(けいけんしゅぎ)とは、人間の全ての知識は、我々の経験の結果である、とする哲学上または心理学上の立場である。(例:ジョン・ロックタブラ・ラサ=人間は生まれたときは白紙である)
経験論は我々の理論は直観や信仰よりむしろ世界についての我々の観察に基礎に置くべきだとする近代の科学的方法の核心であると一般的にみなされている。その方法とは、実験による調査研究、帰納的推論、演繹的論証である。
イギリス経験論において人間は経験を通じて様々な観念・概念を獲得すると考えるのに対し、大陸合理主義においては、人間は生得的に理性を与えられ、基本的な観念・概念の一部をもつ、もしくはそれを獲得する能力をもつと考える。また、理性の能力を用いた内省・反省を通じて原理を捉え、そこからあらゆる法則を演繹しようとする演繹法が真理の探求の方法とされた。