神戸学校の今中博之(ひろし)さんの講演会。
デザイナー(設計事務所)をしながらアウトサイダーアート(美術教育を受けていない人のアート)を支援する活動する人。

実物ではないけど、素直に感動した。それだけ。

「オリジナル」とは何かを求めていた今中さんがこれだと思ったもの。アウトサイダーアート。
デザインをしているときに求められるまたは求める「オリジナリティ」をここに見いだした。今作っているものは今まで学んだことの貼り合わせなんじゃないかという疑問に対する彼自身の答えだった。
当然、教育を受けた(受けてしまった1)人が作るものはレディメイドの貼り合わせでオーダーメイドを作っていると見ることもできるのかもしれない。そういう見方をすると、子どもの作ったものや教育を受けていない人の作るものは心の底から生まれたものでありその人自身から生み出したものすなわち「オリジナル」なものなんだろう。「選択」とは違う、ポジティブなものつくりにぼくには映った。
確かにこういうものは珍しいし、評価されるべきなんだろうと思う。でも、これはすごく珍しいことなんだろうと思う。ここまでものに、情報にあふれ、歴史が相対化されている時代に、それを学んだ人がやろうとするのは少し無茶なんだろう。他者、歴史はこの場合自分を客観的に見るために存在するから。

でも、ふと、これに前説がなかったらどうだったんだろうと思う自分もいた。誰がどうやったか知っていたから感動したのかもしれないし、単に感動したのかもしれない。
ものに対する見る目をつけないといけない。
でも、「作りたいから作る」というのが伝わってくる作品だった。何がどうとかそんな理屈の通用しない、評価という軸が存在しないものだった。コンテンポラリーアートの先にあるというのもうなづける。
前から感じていたが、ただ好きなように生きているだけなんだと思う。なんか障害者という言い方はもちろん、健常者という言い方も嫌いだ。ただ、少し社会的な思考がないだけだ。そんな人いっぱいいると思う。犯罪者だってそうだ。それは社会が生んだものだ。個性までいうとなんか違う気もするけど、障害者だという定義があるなら全ての人は障害者のような気もする。自閉症の身内がいるというだけの幻想なのかもしれないが。