文化表現におけるイノベーション:『北の橋』
この映画は80年撮影、81年封切りであり、81年5月にはミッテラン政権が確立され、有給休暇の拡大、法定労働時間の削減、ラジオおよびテレビの自由化、大学入試の廃止、死刑制度の公式廃止を行うとともに私企業の国有化や社会保障費の拡大をはじめとする社会主義的政策が初めて資本主義の中で左翼が出てきた時代である。それまでは異民族は管理され抑圧されていたが、その場合にどうレジスタンスするかという主題を根底に持つ。
ライオンの像と、女性ポスターの目と、竜のような遊具と、そしてラストシーンのマックスと。バチスタはドン・キホーテであり常に対決していて、夢を見る。
さらにこの時代のパリはバブル直後の東京と同じ状況である。保守党政権に変わるという社会のシステムが変化し都市が変化する時期であり主人公たちは周縁をぐるぐる回る。これはTorner en noud(迷う、行き先がわからなくなる)である。東京の場合パリの周縁部(赤いベルト地帯=生活の貧しい移民労働者の借家がある)にあたる部分をなくし、高層マンションになった。この映画でもその状況は如実に表れている。

もう一つ、取り上げられたのが、映画監督とは何か?ということである。
『北の橋』は直接的なドキュメントではない。つまりドン・キホーテにより「異化」されたものでありこの物語的な異化効果が起こらなければ都市は生生しく映らない。最も短絡的に映されたのが最終シーンで同じシーンであるにもかかわらず8ミリと16ミリという違うメディアで撮るところである。
一つはこの逆説的なドキュメントであるが、もう一つはリヴェットの映画の定義に関わる問題である。
それが表れるのはフラットなパリに現れる長い階段である。これは空には人が住めず、そこを映すことは一番無駄なことであり、その無駄を排除するために最適な角度が階段からの俯瞰というわけである。なるほど最もヒューマンスケールでなおかつ画面全体に密度があり映像に無駄がなく、オブジェクト(サブジェクト)が真ん中に映る。

批評家時代からの意識としてあったフレームとしての映画の存在である。
ある映画でリヴェットはユダヤ人が柵を乗り越え逃げようとするシーンをトラベリング(移動しながら撮影すること)によってドラスティックに映すことに対して批判した。それは映画とはフレームで切り取ることでありそこに理由を持つことであってそのフレームの中と外に世界が同時にあるということである。これがなければ物語から遠ざかることになる。そのためにもある階段というアングルであり存在に意味を置く。つまり存在論に関わることでありオントロジー的な(ミイラコンプレックス的な)映画の語り方をするのである。みんなあり得ない人でありながらそこにあるものはあるという態度。何が映っているかに価値を持ち、ディテールの差異が映っているものの違いとなり逆には記号論的になり物語にしか回帰しないのである。これは映画の観方にも影響を持つ。