建築講座:TOYOTA 布垣直昭
デザインの公共性 未来のモビリティと都市、環境
構造としての車、そして近代都市というテーマが根底にあったと思う。CIAMが予言したように自動車が都市の姿を変えた。その車が変化する、またはその瞬間を目撃する僕らは都市の変わる瞬間も目撃できるかも知れない。また、車と建築も同時に変わることも車からのアプローチで可能性がみえた。そんな講演会だった。
irealという身体の延長としてデザインされた自動車はジョイスティックのような操作で練習が必要なく、大きさも人より二周り程大きいだけである。そのデザインされた必然性は、モビリティの適材適所として近くまで行くのに大きな車で行く必要はないという発想がきっかけ。これは移動範囲としては自転車と重複するものであるがコンパクトシティに繋がるものである。
議論の概ねはモビリティによってどのように都市の風景が変わるかというものだった。道路交通法など規則が可能なテクノロジーを制約していることが多いらしい。海外ではセグウェイなどの車と自転車の中間のようなデバイスが開発され、都市の変容の可能性として示唆的である。車だけの一本化したシステムではなく、多岐にわたる交通網より多様な都市が想像できる。
最後の話が一番印象に残った。それは、人は動くことが生きることとほとんど同義であり、いつになってもそれは変わらない、つまり、いくら便利になっても自分で動くことは忘れられることではなく、それに対応したデザインでなければならないということ。たとえば、電動自転車は自動車で行く距離をここまでなら電動自転車で行ってみようかと思えることで、体を動かすきっかけをつくることになる。