横須賀美術館山本理顕

緑の芝生に真っ青の空。その結節点に佇むこの建築は、白という白を超えた、極限の白を持っていた。天気が良過ぎたのか、緑がかったガラスの効果なのかそれは白というよりも無色に近い白であった。これが氏が求めるものであるのであれば、純粋にうなずける。WS、展示内容ともに子ども、一般までを対象とするその腰の低さは、「美術館」という権威的なビルディングタイプを超えた、「親しみ」を建築要素全てが物語っているようである。「参加させる」展示内容は同時に多様性を建築が受け止めることを意味する。全ての窓がそれぞれ違う風景を切り取っているように。
エントランスを入ると、地下に巡らされている回廊をブリッジで渡り、中心的存在であるエントランスホールになっている。ブリッジという経験の後であるからかその平面は浮遊しているように感じられる。外から隔離されているようで同じ日に訪れた坂倉準三の近代美術館とは違う、どこか距離のある閉鎖である。それはこの美術館自体がガラスで囲われ、またその中に入る、入れ子状の構成になっているからであろう。一階を一巡し地下に降りるとそのガラスと展示ヴォリュームに挟まれた吹き抜けの空間になっている。下界から隔離するためのヴォイドは妙な空間であった。光が多く入り込むがそこは谷底のようで空は遠く、展示室はまるで都市の中に散らばるポケットパークのようにアルコーブ的性質をもつ。そのためか回廊のギャラリーは方向性をもたず、展示空間として順路をもたないような、自由気ままに展示をみることができる。逆に言えばどこから見ていいのかわからないのだがそれが作品を見せるということに大きく関与しているように思える。ホワイトキューブという、作品のための空間は、通路的変質をすることで全く違う空間になっていた。
再度地上階に上がり、屋上へと導かれる。しかしそこには屋上が存在していたのではなく、山と接続されたランドスケープだった。海から山への結節点となるこの建築は、連続した経験的ランドスケープを含有し、しかし一つの世界をももつ多様な空間であった。