ジャーナリズムの意義の一つは本質に立ち返ること、原理原則を考察として振り返ることでもある。現代の都市は資本という波に冒されてはいるがどういうシステムが働いているか、少しまとめてみたいと思う。現状の都市とはどうなっているのであろうか。
グローバリズムの中での都市。それは、一昔前に建築家が夢見ていた目的的な集合体あるいは歴史の集積としての経済学的なストックではなく経済学的なフローである。以前磯崎新が現代の計画学的な都市を廃墟として論じたことには計画学の延長にあるユートピアとしての都市への批判も示唆的であったとも考えられる。

土地が資本主義の中でバブル期に原動力として動かざるもののはずが変動するその価値に人々は魅せられる。変動する、フローとしての都市と西洋的には恒久的な意味を持つ建築の関係は建築が翻弄されることになる。つまり、圧倒的な土地資本の価値に対し建築の力は微力であり結果的に経済の論理に負け、消費されるという構図が生み出されてしまった。そこには、人間的な空間は存在せず、ただただ文化資本は破壊される。

この圧倒的権力に抵抗するのはいかに可能なのか。社会情勢としてCSRコンプライアンスが見直されているがここにどう介入していくかも問題になるように感じる。