本を読むって、つくづく大切だと思う。
わかったつもりでわかってないこと、多いです。
脳の鈍い動きを最適化してくれること、多いです。
読んでて、脳のアドレナリンが出る感覚、ありませんか?
この本が名著なのか、ここまで共有できる感覚があることがいいことなのか。
いや、共有できるからこそ名著と言われてるのか。そかもな。
まぁ名著の定義はおいとくとして、そういう意味では簡単に入り込めてしまう(たまに波が合わないのもありますが)小説ってとても準備運動にいいと思うんですよね。朝ご飯を食べて、ゆっくりと十分くらい小説を読むと、寝てた脳がだんだんと目覚めてくる感覚があります。ご飯を食べるのも関係してるとは思いますけどね。
世のみなさまがたはこれを新聞でやってるんでしょうか。ホームドラマの朝の場面とか、電車の中では読んでる人多いですよね。確かに、新聞は一般的な「記事」という文章の構造をとっていて、より客観的に、具体的な言葉で書く努力がなされています。意味の広い抽象的な言葉でないので、そのまま、言葉のごとく「言葉のごとく」読めば脳の歯車が自動的に動く感じ。それと同時に情報が入ってくる、一石二鳥のことを当たり前のようにやっているのですね。
でも私は、やっぱり小説がいいです。新聞は眠い時にあまり読めないもん。小説だと、映画を見る感覚で引きづり込まれてしまうんですが結果的に頭は動いてます。これが狙いです。
「頭が動く」というのが本(もしくは文章)を読むことで開始するというのはやはり思考の根幹が言語だから何だからなんだと思います。自分の頭を整理するために文章にしてみるということをみなさんも経験はあると思うんですが、全くバラバラで背骨のない軟体動物みたいな情報の雲からいきなり文章にするというのもむずかしい。書き出してからどんどん背骨がついてくるというのはありますが、それは単に背骨が見えてなかっただけで、ないわけではなく、仮説として情報の向こうにあったときです。そんなときに頭の中の情報の雲に突っ込むとくっつき虫みたいに情報をくっつけてきてくれる本を読むと、脳がフル回転する上にやる気まで出てきてしまう。
単に知識を得るだけでない、「道具としての」本。実は、こういう構造を明確に持った本が売れてるのかもしれないですね。今日やってた就職情報も最終的には自分のノートに記入して一覧性を高めないと意味がなくなってしまいそうでしたし。活字離れやら出版界の危機やら叫ばれてますがやはり最終的に信用できるのも印刷物ということなんでしょうね。


そんなこんな今日は研究室で本の虫になりつつ、就職サイトみたり、たまってたメールを消化していて珍しく東京の方には出なかったのです。明日行こうと思ってたから。大学の子に教えてもらった世界のお茶を買える祭典にも。。

「行けばいいやん?」

って思ったでしょ!?
行けたら行きますよこんなこといいませんよUFJのことを覚えていたら!!!

そうなんです、UFJ銀行を使ってる人はわかると思いますが今日明日とATM使えないんですよね。。
別にUFJ銀行が悪いんじゃないんです。私の「手持ち最小限」を呪うべきなんです。別に持ちたくないわけではないんですけどね、出す時もケチなのか使う分しか下ろさんし。こればっかりは気をつけるしかないですね。今までは五千円入ってたら安心してたんですが忘れるから一万円くらいにします。。

ということで明日も研究室ひきこもりんです。朝から自転車をこいで駅まで行くっていう道筋も運動になっていいんですけどねー。朝30分かけて横浜駅までいくのももう慣れてだいぶごきげんな感じで行けるようになりました。いつもママチャリでいってるわけですが、今日WIRED VISIONを見てると、新しい折りたたみ自転車の記事が。軽くてよさそうですが、今自転車を買うとしたらロードレーサー(周りの人は結構もってる)かこれか悩みますね。淡路島を自転車で一周するほど自転車とは馴染み深い私ですが、今まででママチャリ以外に乗った事がありません。ロードレーサーとかこれはいろいろ買って帰る事の多い私にとって不便なんです。まあ自転車は乗るためにあるんで車を買ったら考えましょう。