重要な決定の繰り返しとは、とても精神的につらいものだ。
重要な決定とは、その決定で先の物事が決まっていってしまう多くの責任を担うものが多い。


今日は研究室で12月に調査にいった鎌倉の住宅図面を描き起こしていた。
和風の住宅と明治期の建築デザインが増築によって融合したような住宅なのだが、不思議な建物である。元々は二層の住宅だったものに、その二階の高さよりも高い屋根と天井を持った講堂のような居室が一つくっついている。小規模のアトリウムのようなそれはコロニアル様式によくあるようなエメラルド色と白の色彩で仕上がっている。しかし、二層分の高さを持ちつつも上階はなく、当たり前だがベランダも存在しない。その代わりに、勾配が45°に近い切妻屋根の妻側には丸い窓をもった曲線の意匠をもつファサードがある。
当然のことながら立面にはそのに種類のファサードが混在してくるのだが、これがまた描きにくい。西洋風の方は窓廻りなど今から考えると凝った意匠なのだが、和風の木造になると細かい部材、特に線材で構成されいるため、もっと複雑な図面になる。調査当日のこと、さらには建築の部材のことなど詳細まで頭にはいっているわけではないので写真を見ながら検証するのだが、どこかでズレがでてくるなどしてさらりと終わらせられるものではない。いくらかの調査費を頂いていることもあり、しかもおそらくだが過去への資料として残っていくので無責任にしてしまうこともできない。


歴史的決定とまでは言わないが、この建築をデザインした人の決定を、未来の人間であるぼくが再度決定していく。そこには過去の決定された事柄、その時代の人が責任ある決定をしてきたことに敬意の念が浮かび上がってくる。