街を歩いていると、いろんなもの、人を見る。眼に見えるものはすべて当たり前に存在していることではない。それは橋でも駅でも電車でも草でも花でも全て。それを作りたいという人がいてそれを受け取る人もいて。一度見たことがあるならそのつくり方や育ち方が容易に想像できる。誰が何を考えて何のために作ったのか。
今日は大手ゼネコンの研究施設にお邪魔した。
そこではぼくたちが当たり前に使用している駅やオフィスビルなどの環境や構造的問題などの研究がなされている。木造の民家や焼き物の茶碗などと違って、近年の建築物やプロダクトなどはその作り手の感情や過程がとても見えにくい。
そこらへんの裏側はまるでブラックホールから飛び出してきたもののようにピカピカしていて表情がない。
しかし施設での研究開発や実験の話を聞いていると、機械やコンピュータを使って実験などをしているものの、実際に確かめる人間がいる。決して自動的に作られるものではない。