ひとのため、とは誰のためか。
金持ちのためか企業人のためか、はたまたそこに属さない「ひと」のためか。
利益をもたらすクライアントのために仕事をする人、まちにいるふつうのひとのために仕事をする人。

「地域の人に信頼される建築家になる」。中学の卒業文集に私はこう書いた。地域を支える建築家は何でも屋であると今思えばよくわからないことを考えていた。生活に根付き、問題を解決する方法としての建築。その力を信じてやまないような気持ちがそこにはあった。大学に入ってからも私はその力を信じ続けた。設計を4年勉強し、院では建築周辺のメディアの現場にいった。しかしそこには社会のレールの上に敷かれた何を目的としているかわからないような現実があった。建築、雑誌、ネット。実社会から離れれば離れるほど実際に人に接する機会はなくなり、資本主義経済という虚構を追い求めるだけの世界に入っていくように感じた。そこでは良識より常識、感受性よりクールさ、本音より建前が重視される。
自分が自分らしく生きるために、どこに属せばいいのか。死ぬときに、どう散れれば幸せか。