1995年以後~次世代建築家の語る建築 1995年以後―次世代建築家の語る現代の都市と建築/藤村龍至、TEAM ROUNDABOUT編著 エクスナレッジ

前回に引き続き、内容のまとめを少し。
他のブロガーの方のなかにはどこから読んでもよい、という感想が記されていたし、特に脈絡のなさそうな順番で並んでいたのでぱらぱらとインタビュアーのバックグラウンドで読むのを決めて、だいたい興味のあるところは読んだ。しかし、藤村氏の思考を辿るためには、最初は一番の藤本壮介氏との対談から読むべきだったと大半読んでしまってから思った。藤村氏の多様な価値観が各インタビューで露にされているのだが、その根源にあるといえる「真っ当な」社会的意識の根本が社会ではなく「建築」を目的と意識している藤本氏とぶつかるからである。

都市の希薄さを問題意識とする藤村氏に対して、藤本氏はそれを固有の世界と捉える。
建築の周辺を議論しても建築は変わらない、つまり枠組みを議論するかどうかという藤本氏の疑問。このとき藤村氏は藤本氏の「建築に向かう本能をみてみたい」という意見に対して、匿名化した都市に濃密さをとりもどすためのプロセスとしての運動であると応えている。つまり、社会のなかの問題を拾い上げ、みなで意見を出し合う、極めて民主主義的な「物言いの交換」を理想としながらも、自身が実際に建築をつくる立場にもいるという単なるジャーナリストでもなく、単なる建物に関わる者としてでもない、ある種超越した立場にいることを表明している。インタビューのなかで自身でも言うように、藤本氏には時間や社会という前提条件のようなものがなく、ローマ時代の建築と現代の建築を並列化して見る俯瞰というよりも地図をもたずに時間的に相対化しない建築の見方があるようだ。それに対して政治的な見地など多くの視点を持とうとする藤村氏は建築の力で社会に介入して建築で再構成する。
建築から生み出される新しい秩序、生活を無限に求める自律的思考の藤本壮介氏と、取り巻く環境を読み解きアプローチを設計していく他律的思考の藤村龍至氏。この対極的な立ち位置はこの本を読む上での一つの指標ともなりえるだろう。