COURRiER Japon ( クーリエ ジャポン ) 2009年 06月号 [雑誌]  COURRiER Japon 2009年 06月号
特集は「大不況「脱出」マニュアル」。日本の識者による「切り抜け方」は新聞などでよく目にするが、この雑誌の最大の特徴である全世界的な視点から転職や独立についての記事が並んでいる。
なかでも一番気になったのは気分を変える「色」をつかったアメリカの消費動向の変化。低コストで買えるペンキで家の壁などを塗り替えるのがアメリカでブームになっているらしい。本来は白かベージュが最も売れていたのが、最近は黄色やグレーなどの色も人気があるという。温もりがあり、癒しのグレーと幸福感のある黄色で家を塗るのは、いかにもアメリカらしい発想だ。DIYなど自分のことは自分でする癖のあまりない日本人にはあまりピンとこないかもしれない。「家を塗る」という発想自体、住宅街などに行くと目にすることはあまりない。派手すぎて訴えられるまでのものは行き過ぎ感もあるが、身の回りの生活に少し手を加えて自分から楽しもうとする発想がいまの日本人には欠けている。

いくつかのメディアで取り上げられている『スラムドッグ$ミリオネア』。
『アウトルック』誌の編集長はスラムを破綻国家の象徴であるとし、スラムを仕方のないものとして受け入れる風潮を指摘する。アカデミー賞にあやかり、国のイメージを作り出そうとするが、スラムはスラムでしかないという。日本にもスラムとは言わないが存在はある。都市の負の部分として認知されている場所はどこにでもあるが社会のセーフティーネットが機能していないということだろう。そしてそのような短絡的なイメージを「利用」しているとしているのがインド映画界の巨匠、プリヤダルシャン。構図やストーリーなどの映画的に痛烈な批判に加えて映されているのがインドの全てではないという。あくまでインドの一般的なイメージを使っただけだ、と。

作り出された人間ドラマだけが映画ではない。映るもの全てに「事実」としての責任が必要になると思う。嘘ではないだろうが、映るものが残る。その映したものをどういう意図で撮ったのか、監督の意図はわからないが、それを政府や識者が利用したということだろう。メディアの扱いは一歩間違えれば作者の意図とはまったく別物になり得る。それが事実かどうかはともかく、イメージとして定着する。映画を楽しむことは第一の条件であるが、それを自分のなかにイメージとして定着するかどうかは見定めなければならないということだ。