横浜建築都市学
廣村正彰氏。建築のサイン計画やブランディングなどをするグラフィックデザイナー。Y-GSAのロゴやパンフのデザイン、横国建築学棟のサイン計画も手がけた。うちの先生である山本理顕氏の建築にはこの人のサイン計画が多い。
今日のテーマは「デザインのできること、デザインのすべきこと」。
講演の最初にその答えを提示、その後手がけた作品の紹介という流れになった。
まずデザインのすべきことは情報を整理すること。そしてそれを見る不特定多数の人たちが共有できる土台つくりをすることで多くの人の「発火点」をみつけることで個々の感動や笑いを生む。つまり、見る人が「わかる」ということ。そのためには自分がわからないと思えなければならない。世の中には多くの職業があるが、この根本原理は多くの職業に共通すると思う。いわゆる個人の感受性をマスの媒体に載せること、または作り出すための根にすることは結果的なアウトプットが言論であろうがデザインであろうが変わらない。
前述の通り氏の仕事には大きく分けて二つある。ブランディングとサインだ。
氏のデザインは仕事の種類がどちらであろうともコンセプト、アウトプットともにシンプルだ。NISSANのオフィスのサイン計画においては一筆書きでプレゼンテーションルームや倉庫のサインを描き、それが壁を伝い次の部屋までいく。「一本の道」というブランドと単純明快なデザインが一致している。ここで車の色についての余談が出た。それは色についての話になったときなのだが、車はCMで流れたときの色が最も売れるらしい。聞いたときは少々驚いたが少し考えてみると車に限らず何にせよ物を買うときはそれを使っている光景を思い浮かべる。そのときCMなどで明確なイメージをつけられていたらそれが先行してしまうだろう。ま、広告というもの自体がそういうメカニズムを前提に作られているのだろうが。

講演のなかでよく出てきたキーワードは「発火点」という言葉。いつも仕事をしているとき、何を大切にしているかという質問に対して、「素」のアイデアだけでやってみるとうまくいくと氏が答えた。それはデザイナーの特徴とでもいうべきいらない表現をカットしていくことだという。つまりそれは情報がどういう質で伝わるかという「発火点」の模索作業でありそれを見つけられるかどうかなのだと。これは企業のブランディングなどについても同じで「これをやらなくてはならない」ということをみつけることである。つまり、氏にとってデザインというのは機能の本質をつかみ出すことなのだ。自分では自分のアイデンティティはわからないと言っていたが、私は明らかに氏はグラフィックにおいて新しい価値を生み出していると思う。単に文字と色を操作して配置するだけでなくみる側に一定の余白を与えるデザインをしていると思うからだ。


横須賀美術館のサイン。講演後の質問に時間に氏が言った美術館などのサインは高速道路の標識などのように一瞬で終わるものではなく、ゆっくりと脳にはいってくるデザインだというのはこのサインによく表れていると思う。本来であれば図書館は上でその上に屋上庭園があるということがわかればいいので極論文字だけあればよい。しかし氏の提案した静止するピクトグラムと動く画像の間のようなある種の意志をもつような「キャラクター」には若干の時間が入り込む余地があり、そこに見る人の感情が入り込めるようにも思えるのだ。