金氏徹平 溶け出す都市、空白の森 @横浜美術館
「見たことあるようでいて、何だかわからないものをつくりたい」と語る金氏氏。
氏が言うように展示室は意味のわからないものがところせましと並べられ、壁にも異様な模様が広がっている。
手法としてはコラージュやブリコラージュの手法を立体的に起こしたような物体。しかしそこには氏の言う「空白」によってパーツや部分は結びつき、全体を構成しているようだ。
作品は既製品で構成されている。フィヨルド地形のような線、手書きのイラスト、骨のおもちゃ、フィギュア、そして石膏。何かの部分ではあるがそれらは整合性をもって構築されて全体をつくられている訳ではない。ランダムといってもよいのだろうか、二次元、三次元作品に関わらずそれらはハリボテのように塊をつくっている。多くのパーツにはつくるべき全体形があるはずだ。しかしここでは近代的な合理化されたアナロジーはない。それらパーツが一定の方向性を持ちながらも、延長線だけが交わっている。それはアーティストが何かを表現したというよりも動いている途中の静止した状態を組み合わせ、その余白、認識上の余白で何かに導こうとしているようにも思える。
ある作品群は液体をメインにされている。容器にはいって固まっているもの、塔のようなところからでてくるもの、どろどろとした状態でおかれているもの、コーヒーの染み。それは、流れる空白、目に見えない力だ。
容器という不可視の力を捉えるフレーム、塔という求心力、完結した物体と動的なものの対比。流れを捉えるには、そこには骨が必要だ。ふらふらと漂うものに力はない。
既製品という人間の欲求から生まれたものは、自己組織化した物質をフレーミングするために生まれた。偶然の形、時間、産物を必然とするための力を見た。