バイト後、ある本の校了の打ち上げをかねて編集者の方とデザイナーの方と飲む。
傍から見ると異様な光景だっただろう。新宿から一駅の中規模の商店街の並ぶどこにでもありそうな街の小さな居酒屋で、店を営むおばあちゃんと、私の父と同じような歳の男2人が、23歳の男と酒を交わしているのだから。カウンターに並んだ3人は出されたうまい魚と焼酎をあてに、仕事が一段落した安心感もあってか、笑いの絶えない談笑をくり返していた。
その内容はそこらじゅうで繰り広げられているであろう政治や歴史の話だ。
グラン・トリノの話から始まり、生きるとは何かとか死ぬとは何かとか。間に私を媒介にした若者の話とか。わざわざここで書くこともないかもしれない居酒屋トークだった。
が、歳を重ねた人たちの哲学めいた人生論というのはおもしろい。巷では政治家やら建築家やらが自己顕示欲を突出させることを中心に回っているように見える社会のなかで本当の幸せとは何か。それが若者と自分たちは違うという。なんでもかんでも反発しているわけではないがそう思われている私に若者はそういう物だと言い、いまの「草食男子」というのは違うらしい。ある種健全だと褒められているのだろうか。。まぁ私は自分の見た物と自分だけが真実だと思っているし、空気を読むことをしない。今のうちに堕ちるところまで堕ちたら儲け物だと思っている。そういう話をすると誰かにもいわれた、若年寄りみたいなことをいわれた。
理想は理想だからこそ意味があって、それは幻想であるということをぶつけたら余計に若年寄りだと言われた。若いうちはそれを求めることが幸せであっていいが、守るものができる、「安定」を手に入れることで幸せの定義が変わる。しかし、どちらも幸せなんじゃないかなと思う。理想を掲げてそこにたどりつくまで没頭することも、夢、すなわち明日がなければ今を十分に楽しむことができる。明日も大したことがないんだから、まだ遊ぼう、というような。
飲みの中で、文化の定義についても少し話した。たまたま沢庵がでてきたとき、「沢庵こそ文化だ」、とデザイナーの方。ここにはとても共感した。雑誌の話をしていたこともあって、リクルートやマガジンハウスが文化の担い手として偽造していることなどの話をした。しかし一方でそれも文化であることも否定できない。「文化」というものが結果論でだけ語られるのであれば生活形態の変容も、たとえそれが完全なる欧米化であったとしても、文化なのではないのか。そこにきて初めて文化と文明は融合するのではないかと。
同年代の人と話すのと同じくらい、中身の濃度的にはそれ以上おもしろい飲みだった。





Life is like saving account.
What you get it is what you put into it.
最近知り合った人がくれた言葉。
人生は貯金のようなものだ、知識や経験は備えておくべきだということ。
結構好きな言葉かもしれない。