日経アーキテクチュア 特別号 商空間・インテリアデザイン
建築は軽いのか、重いのか。都市と人、経済と芸術の間に位置するという建築、または建物という概念は、時代性によりどちらか一方に傾倒することで一方を犠牲にしてきたとも言える。
しかし昨今の状況として、つまりテレビや雑誌、新聞などの広告力の減少によるマーケティングの変化がある。都市部のブランドショップが建築家を起用し、より身体的な広告媒体をつくる、これは建築本来がもつ重さをある種のインフラストラクチャーとして機能させ、軽さを負わせた形といえる。この建築の姿の未来形はどういう姿をしているのか。
このことが建築を相対化し、一つの「メディア」として捉えることができる結果として現れるのであれば、クロスメディアの構成要素としてデジタルサイネージ(degital signage)のインフラにもなり得ていることになる。一つの例を言えば、リクルートによる「R25」の配付装置、つまり地下鉄の駅同士を繋ぐ単なる移動空間。テレビのCMなどマスメディアの勢力が衰えているなかで広告の塊のような「R25」とマスを繋ぐ媒介(メディア)として空間が利用されている。この空間利用は、都市における看板などのOOH(Out of Home)広告との連動、つまりクロスメディアとも捉えることができる。
この広告、マーケティングの領域拡張は逆に言えば空間の拡張でもある。
ITの発達により、サイバースペースという言葉が流行した時期がある。いわゆる実体の世界を拡張する意味での空間が拡張することを意味する。しかしこの論議は形而上的な議論に終始し、建築の実世界に影響を及ぼすというよりもそのプロセスなどに関与するだけになっている、社会性のなかでのクロスメディアとしてでしかない。建築雑誌などの専門領域のなかでの議論のツールとして、イデオロギーや意見を社会に対して発信するためのクロスメディアとして、建築、都市という生活、民衆のインフラからの意見があるということを前提で社会性のなかでのクロスメディアである。

しかしこのデジタルサイネージという概念はサイバースペースと本来的な建築空間を融合させ、遠近法を喪失させる視覚的に無限的空間を成立させる可能性をもつ。
空間性のなかでのクロスメディアとして建築を一つのメディアとして相対化して、伝える、感動させるための「メディア」に参画させる意味でのクロスメディアである。空間という身体を包み込むものとして、身体に直接訴えかける空間の発達は、マーケティングの手法の進化だけでなくLED照明などの技術の発展にもよる。今号の特集の中で空間を手掛ける人間のなかでデジタルサイネージが一般化されていない事実に対してデジタルコンソーシアム常務理事の江口氏の「建築・インテリアに対する訴求ができていない」という発言はこのサイバースペースを視覚化、または実空間化するリアリティが欠けているからではないか。芸術として、自律的な空間を志向するが故に完結性を帯びた空間をつくり、後からつけることの多い、または変化する広告との親和性が成り立たない。その結果が単に表層的な、広告のためのホワイトキューブをつくることになってしまっている。