オリンピック。4年に一度開催される国際的な祭で、都市は激動の時間を体験する。そこは、政治的陰謀から国際的なブランド確立、経済的発展が一挙に凝縮された時間になる。
中国のそれがそうであったように、都市には多くの人口が集まり、プレハブでもなんでもかまわないという官僚を横目に形骸化した都市と単一機能の巨大建築が構築されていく。一度のオリンピック開催で得られる国際的名誉と経済的収入を考えれば、そうしなければならないと言っても過言ではない。しかし、止まることなく発展のみを追求した世界は今や自己崩壊とでも言うべき金融危機や地球環境問題という全地球的問題を抱え、事後の問題すらもデザインすることが求められる。
新建築2008年12月号に掲載された白井宏昌氏による特別記事「オリンピック都市の野望と苦悩」では、シドニー、北京、ロンドンといった大都市でのオリンピックを考察している。このなかで氏は、オリンピック会場となるオリンピック・パークは空間的にも時間的にも圧縮された都市空間であり、オリンピック後の都市空間はその圧縮された時間を解きほぐす長い時間が必要であるとし、オリンピック・レガシーとサスティナビリティの問題と建築家の職能とを結びつける。
発展を追求するデヴェロッパーの論理と、都市空間としての社会性の非融和は、経済が成長した都市においては当たり前のように横たわっている。それはオリンピックに限らず、都市的な環境やそれ求める人びとの変化に対応したものを作ろうとすればするほど、その推進力と緻密さは反比例してしまい、整合性を得ることは難しくなる。
ここには建築という長期物ということや設計行為のスピードと、時代の促進のスピードの問題が鮮明化する。私がここでオリンピックという状況に興味を示したのは、開発を追い求めた時代がただ圧縮されているからだと言える。オリンピック後の都市を考察するということは圧縮された状況とサスティナブルな視点をどう織り交ぜていくのか、みることができるからだ。

新建築 2008年 12月号 [雑誌]

新建築 2008年 12月号 [雑誌]

1995年以後~次世代建築家の語る建築

1995年以後~次世代建築家の語る建築