建築家 坂倉凖三展 ―モダニズムを生きる 人間、都市、空間 @神奈川県立美術館鎌倉
                             ―モダニズムを住む  住宅、家具、デザイン @パナソニック電工汐留ミュージアム

坂倉凖三は、1901年生まれの建築家である。
鎌倉の展示では公共建築を中心に、都市、建築の思想と作品を概観し、汐留では住宅と家具を中心に、人のための建築を全うした建築家像に焦点を当てる。
坂倉は、世の有名な建築家のように建築を志して東大に行ったわけではない。大学時には文学部で美術史を専攻する。在学中に建築を志すようになり、当時の教授であり大きな権威であった佐野利器にフランスへの留学を相談していたという。卒論ではゴシック建築に関してまとめる準備をしながら、建築を学んでいた。後世になって伝統工芸などを包括した枠組として捉え、建築を含めてそれらを工業化する必要性を強く感じたというのも、初期の土壌の他との違いが大きく関係しているのだろう。
フランスへの留学直前にも、ボザール流の建築学の継承者でもある横浜の中村順平のもとで製図を学んだというのも建築ならではの技能に対しての教養をつけたのだろう。フランスに渡り、コルビュジェの元で所員として働く前に専門学校で構造などについて学んだというエピソードがあるくらいであるから、建築に対する情熱とこの時代状況で基礎が固まらないうちにも海外に飛び出せてしまう才能には感服だ。
鎌倉の展示では渋谷や新宿、池袋などの大都市の建築、都市論が先行しがちの坂倉のイメージを補完している。戦時、戦争直後のGHQからの依頼が多かった時期や、「戦争建築」と名付けられた簡易に建設ができ、後には住宅難の時代の処方箋にもなる工業化住宅を主な仕事としてしていたことがわかるからだ。1960年頃からの地方都市での活躍も年表などで包括的に捉えることができた。
汐留の展示では、コルビュジェの所員時代から交流のあったシャルロット・ペリアンとの家具デザインについてや、西澤文隆が代表として支えていた住宅中心の大阪事務所の作品などが展示されている。特に、フランス留学中に交流を深めていた芸術家や政治家などをクライアントとした住宅群からは、人脈の広さと当時の最先端の思考とを垣間見ることができる。
日本的な素材を使用した家具やトリエンナーレなどへの出品の意欲からは、日本の伝統というアイデンティティを文明、国際化の域まで昇華させるための推進力と豊かさへの渇望をみることができる。
戦争直後に建設された神奈川県立美術館の模型では、表面からはわからない四角いボリュームを構成する軽快なトラス構造をみることができた。コルビュジェから吸収した建築、都市理論を物質に飢えていた時代における建設という行為の目標に据えている。結果、そのときだからこそのローコストで、本当に豊かなものが完成したのだ。この思想は物の過剰な現代こそ思い出すべき歴史であり、本当に豊かなものはなにかと、いつまでも私たちに問うている。