COURRiER Japon ( クーリエ ジャポン ) 2009年 12月号 [雑誌] COURRiER Japon 2009年 12月号 講談社
アートにおける職能的変化
金融危機からの脱却の兆しは見えないが,新聞の一面には赤字から黒字への転化,公的支援の実施などどこか景気回復のような雰囲気がある.マスプロダクトからの変換,つまり経済的な打撃と社会構造変化への企業の再構築が順応してきた.
単なる消費主義として圧力的に生産の需要を求めるのでなく,本来的に求められる浸透的マーケティングは,生活,娯楽などだけでなくアートの分野にもその根が育ちつつある.といっても,これはアートバブル以後の流行だけの話ではなく,美術史上に確定した事実として残されるアンディ・ウォーホルからの系譜でもある.
ダミアン・ハーストは「ウォーホルによってアートの方程式にお金の項が入るようになった」という.大上段の「アート」や学術的世界観では金や消費といった項目は悪とされてきた.それは建築界での戦前までの建築家の建築の扱いと同義でもある.しかし,積み重ねられた伝統を含んだ「文化」に資本主義的な広告やマーケティングが当たり前のように横たわり,それが現代的な文化として成り代わっている中で,ウォーホルは,アートそのものの表現と流通手段とに批評性を与え,共存を図った.
そのウォーホルのDNAを確実に踏襲し,生産過程,表現としての批評性,事業化を構造転換の範疇にいれたアーティストがいる.それらがイギリス,テートモダンでの展覧会である「ポップ・ライフ」展ではダミアン・ハーストを始め,ジェフ・クーンズ,ギャヴィン・ターク,トレイシー・エミン,村上隆が取り上げられている.このアーティストたちはコンセプターとして経営とアイディアマンに撤し,生産は数百人のスタッフが行っていたり,まるでファッション業界のように数人のスタッフが黙々と裁縫をしていたりと,元来あった閃き,描写,価値といった職人的な生産とは全く違う,現代的なイデアをもつ.現代的アートとして様々なテクスチュアやマテリアルといった表現手段が挙げられるが,そこには一昔前の画家の手にかかった一品生産の気配はもう既に一掃され,アーティストに求められるのはアイディアとその鋭さ,そして描写,構成,スタッフの管理能力である.
単に「美」という複雑性だけでなく大枠の批評性,つまりは刺激的作品であるか否かといったなどの評価基準が資本主義という前提を踏襲し,新たに付け加えられている.