ぼくが子ども(20歳以上が大人だとして)のとき,酒をうまく感じるようになるなど思ってもいなかった.しかし今,うまい.
人間ってのは不思議なもんだ.環境でいかにでも変わる.酒がうまいと感じるのは体の成長もあるだろうが,おそらく慣れの問題もあるんだろう.まあそれが環境の一部なのだが,それに対して遺伝のものは変わらないものが多い.ぼくであれば考えすぎたり生き急ぐ性質だったり.これはいい意味のときもあるが悪いことに感じることの方が多い.こうなってしまっているのなら矯正しなければ仕方がない.環境を創りださなければ,

こんなことを考えついたのは論文を書いていると,自分は自分と戦っている感覚になったからだ.これは生きるということにも直結するのかもしれないけど.自分が何かについて生まれ持った才能をもっているのなら.いつも自然にやっとけばいいのかもしれない.でも,修士論文を書くなんてこと,ぼくはこれまでにやったことがない.修士論文を書く,という次元はぼくの中にこれまで生まれたことがない.つまるところ,ぼくは修士論文を書く自分になるために今の自分を超えなければならない.これは自分との戦いということになる.明らかに長編の文章を書く新しい自分なのだから.書き方なんて人それぞれだ,という意見もあるだろう.でも,その中でも他人は関係ない,自分の書き方のスタイルのようなものを生まなければならないのだ.
何も新しいことをやるだけが戦いではない.以前やったことのあることをやる,というのも,遺伝でそれをできることが備わっていない以上,そこに自分の波長を合わせていかないといけない.遺伝でできた自分を環境で矯正するのだ.それが生きる,ということの一端であるのではないだろか.
それをやっていないとき,つまり慣れ切ったことをするということには,快感であったり一種の惰性を伴う.いつも同じ家に帰ることで安心感を得る,というのは慣れがあるからだろう.そしてその惰性を覚えてしまってからは,それとどう戦うかが慣れとの戦いになる.


なんだか今日も当たり前のことを書いた.