nishitobe 或る日の風景  現像/プレゼント・イメージ @ヨコハマアパートメント
その現象化を如実に表したのが横浜国立大学Y-GSAの徳野ユミィ氏と慶応義塾大学の宮崎敦史氏,そして403 architectureによる今回の展示である.
前者2氏は建築学科に所属しているが,今回は写真を出展,その展示構成を横浜国大のY-GSA,東京大学筑波大学の学生が構成する後者のグループが行っている.学生のグループというのは今となってはそこまで珍しいというわけではないが,実際に表現の場を得ているのは過程がどうであれ意味のあることである.というのも,60年代後半から全世界的に問題視されているアーキテクチャの横行に対する自由を獲得する一歩であるとも考えられるからだ.都市が表現の場であることを取り戻す行為として評価できる(個人的にこのようなグループを結成できていることが羨ましく思える).
展示内容は,ヨコハマアパートメントの建つ地域である西戸部を映した写真を,発泡スチロールで作られたフレームにいれて展示している.写真には生活者が独自に家を拡張して自らの利用形態に従順な形を創っているものや,ふとした煌めきを持つヴァナキュラーな生活とそのインフラが交錯しているもの.徳野氏がモノクロ,宮崎氏がカラーという差異化を行いながら,日常を粒さに見つめる視線を提示している.
写真のフレームはサイズ,奥行き,高さ,位置と多種多様であって,それらが集合として獲得する空間性の最大の特徴は,同一平面上に並べるという意図が場所,建築,フレーム,写真を一元化させていることにある.しかし,写真によって,あるいはフレームによって西戸部という場所の雑多な空間性を表出させ、さらに壁の方向性の1つを顕在化させるにも関わらず,それによって空間の質が変化することはない.フレームの1つが展示空間へのアプローチとして機能しているが,それは便宜上のエントランスであって,大きな意味作用が働くわけでもない.
建築によってつくられるフレームの中にフレームが宙づりにされ,現在と過去をフレーミングする.それが本来であれば外部と内部を隔絶する壁要素となるものを,同一平面に並べられることによって建築と展示,そして観客という3者を「現在」へと引き戻すのである.この現在化の方法は,この建築が現れた瞬間から宿命的にあるべきものであり,建築とメディアの隔絶を一層強めると同時に弱めるものである.
この展示をすることによって彼らが提起しようとした,あるいは考えようとしたことは何か.図式的には入れ子状の展示であって,若手建築家の行為と自分たちの行為を同期しようとした意図はあるだろう.だからといって両者が全く同じ思想をもつというわけではないが,もはや虚構など何も役に立たないと吐き捨てるように,建築と展示は「現在」へと収束している.何かを参照するのでもなく,表層的なコンテクスチュアリズムに陥ることもなく,移り変わる時代を凝視しようというのである.ここには未来も過去もなく,思考の現在性だけが存在しているのである.