・ポスト戦後社会と都市文化の行方

北仲スクール開校記念シンポジウム 「ポスト戦後社会と都市文化の行方」 内田樹吉見俊哉(司会;室井尚)@YCC

「ポスト戦後社会」/吉見俊哉と「日本辺境論」/内田樹の紹介からシンポジウムは始まった。

次に司会の室井尚氏から吉見氏へ、「ポスト戦後社会」の略説をふられる。そこで吉見氏は、主体がいろんなレベルで崩れていった中での、とりあえずの見地。どう崩れていくかという問題に対して補助線を引く。すなわち、冷戦、福祉国家など「ポスト」へ。二項対立ををとりあえず批判してみる。東京タワーからディズニーへ。連合赤軍からオウムへ。
それらが70年代あたりで転換したのだが、そこでの「何か」を考えるための書物である。
オウムなどをさかのぼると70年代の「何か」に行き着く。
また、氏の問題意識の一端として、社会のマクロシステムの変化と人びとのリアリティの変化をどうつなげるかがある。

さらに、「日本辺境論」との関わりを述べる。ここで氏は、「天皇制論」として読むということを述べた。
日本の自己同一性は中心をコピーしていく同一性しかない。大きな中心を辺境としてコピー。隙あらば準中心になる。
正しく天皇はそういうものであって、天皇はある表象として表れるのは7世紀以前。中間的なところにでっちあげる。
19世紀に欧米の勢力になる。それを担ぎ上げてもちあげていく。使い勝手のいいシンボルであり、準中心化するモメントになっていった。

また、1945年で断絶はなかったという。戦後、アメリカに引き継がれて戦後日本はアメリカという帝国に入ることによって国際的な地位を手に入れた。
ここまで親米意識がある国は他にはない。準帝国としての日本を引き継いでいるからである。コンフォタブルな自己が壊れつつある。アメリカによって守られているという国際政治的な変化と自分の感情を安定させる基盤が崩れつつある。
そしてそれをなぜポスト戦後社会と呼ぶのかということである。ポストという語彙は、ポストウォー自体を問題化している。アジアは70年代まで戦乱だった。1952年講話もそうはいえない。
つまり、戦後がどこで終わったかはわからない。
アジアのポストウォーと日本のポストウォーはねじれている、そこを問題化したい。

アイデンティティに関わる問いがマクロレベルと直結しているはずだ、という。

次に内田氏にマイクが回る。吉見氏が講義の中で自分自身を批判させる講義を行ったのに対して、批判されるのは嫌い、批判されると知的テンションが下がるという。

1970年頃に日本の空気が変わったのは実感していて、明治生まれの人が社会の第一線から退くタイミングである。昭和の人が出てくる。

また、明治の人には「俺らは明治の人間だ」という自己規定があるという。大正とは違うということなどを骨肉化している。
明治の人は「戦争を知って」おり、大正など下の人はもっぱら被害者であるのに対して明治人は加害者意識、利益を得たことがある。加害体験を持つ人は戦争体験を語らない、やましさを持っている人が社会の上にいた、それが有形無形の影響があるのではないかと70年代の日本の変化について言及。
昨今では「戦争」が普通名詞になっている。戦争経験による厚みが語義のはっきりしたものになった。その移行があったのが70年代であると。

続いて天皇制についての意見。
天皇制は機能的。まず政治的役割。国民的統合、喫緊の状況に迫られて採用された。そのときは国を団結させるためには天皇を担ぐしかないのではないかと。国民を統合しなければならない外交的なものがあってそのときの政策であると氏は考えている。その上で天皇制をイデオロギーとして批判しても機能だから意味がない。状況的与件で選択したシステムである。

宮内庁雅楽の人が「陛下」という言葉を感情を込めて語る人であったことを回想し、こういう感情をもつのをできる機能であった。


次に司会の室井氏から「大学」というもののあり方についての論議。価値があるものはフランスからくる、知的なものは翻訳=日本は辺境であるという意識があった。80年代からバブルなどで自信がつき、人文系などは排除された。例外を覗けば輸入に価値はなく、パフォーマンスが落ちている。昔の方が知的パフォーマンスが高かった。大学,学問自体が島宇宙化、トライブ化している。

内田氏は、80年代以降アカデミアでも知的パフォーマンスは下がっているという。
小分けして知識を手売りしている作業を明治以降の知識人はしていた。ところがそれを80年代以降、自費で留学、フランス語で学会発表、フランス語で論文書く。国際と言う場面でやっているのはレベルが低い。噛み砕き,日本を豊かにしたり、感情を豊かにすること、国民全員で共有できるものがない。
自分のためだけにしていて配らない。80年代以降の大学院生はみんなそうだという。外来的意見を市井の人に翻訳することを忘れてしまった。頭のいいことを自己利益にしか使わない。
日本は輸入産業であって、横にパスしていくことをしていかなければならない。

それに対して吉見氏も東大国際会議、WSなどをやってるが日本人学生は来ないという。留学生ばかりくる。パッションが弱い。

そこで室井氏が内田氏の話はキャリアアップ以降のものに見えていないのではないかと指摘。短い幅で特かどうかしか見えていない。

内田氏は「日本側」の学生だからこない。日本を代表してないからだという。国民国家といては 日の丸を担いだ方がパフォーマンスはあがる。

そこで吉見氏が「ネーション」である必要はない、と。

室井氏は家族の話、自己の分断。昭和天皇の死がおじいちゃんの死であって、権力の所在がよくわからない。

吉見氏はだからといって戻れば言いと言うわけではない。そのときの心地よさがまやかしである、と。じゃあどうすればよいか。

室井氏は日本の統合的原理と一致してはないのでは、という。戦後的主体とは何か。自身の教員としての経験からもシステムを擁護しながらいかなかくてはいけない。

内田氏もそれに同調し、官僚お命令を下すことに意味がないことはわかっていながらも、上部進級へのエクスキューズをもつことを指摘。脱臼していることとして大学を認知しているのが今の世の中なのではないかと。

吉見氏が生徒を先生がいれば大学であるという「街場の教育論」の語を取り出し,大学と都市、大学の歴史について述べる。
大学は一回死んでるのだという。そして二回目の死が訪れつつある。ボローニャ大学は創立800年だが大学が伝統してきたというがそうではなく、近代に死んでいる。巨大な知識人、デカルトパスカルニュートンライプニッツなどは大学の教授ではない。
都市をベースに大学はできる。学生の協同組合と先生の共同組合が手を組んで勢力のバランスを保っていた。流通、人がメディアであり、都市に集まり、権力を利用していく。
宗教改革で印刷術が勃興した当時も安住してしまって印刷術を取り入れなかった。大学は貴族的ブランドを授ける場所だった
それが変わるのが19世紀。
ドイツの国民国家でまた生きる。国家が大学をバックアップするようになる。
そこでハーバードなどアメリカは大学院をつくった。

室井氏が大学からは何も生まれないのではないかと提起。

それに対して内田氏は社会的装置としての世代間の認識の違い。国民の半分が高等教育を受ける時代だから大学ではない。マーケット戦略などが入り込み過ぎている。
ランキングをつけることに根本的に人間の質は上がらない。教育理念の多様化しかない。

室井氏はマニュアル、シラバスがないところでいかに生きるかが大切なのでは、という。マニュアルがないと不安になっているのではないか、日本人の持つ心の不安は何なのか。

内田氏は婚活も就活も人を不安にしておいて情報に課金しておくことを指摘。

吉見氏はメソッドは自分でもつべきであるという。そのときのいい方法として自分がたたき台になることなどそれぞれの現場でそれぞれで開発できるメソッドはある。

ここで次の話題、現代の文化状況について。
トライブカルチャーがネットで結びつくことで大きなパワーをもつ。

内田氏はネットの良点として死にかけた言葉が甦ったことを紹介。ネットは集団を維持する程の集団ではないものがつながり、商業ベースまでマーケットができる。文化的貢献ができている。それに対しての欠点は、トライブカルチャーが議論が内向きなこと。知的レベルの高さが深さになっている。マイナー文化同士の交流がない。

室井氏はネットワークで隠されているものもあるのではと発言。

吉見氏は情報発信者ばかりで読者がいない。キリストから印刷秩序になったときもあったはずで、つなぎ方が模索されている。

さらに次の話題としてまちづくりに対してはどう考えているかが質問される。

吉見氏は便利にしすぎてはいない。「越後妻有」はバラバラにしている。不便にしたままつなぐ。

内田氏はネットで最大で最低の贈り物である五体が借り物であり、身体が不便であるということが露呈したと指摘。身体の有限性がわかった。

室井氏はバリアフリーでわざと段をつくっておく、木があるのが悪いとかシステムのせいにすることを問題として捉える。

内田氏は明石の花火大会の話で、安全が確保されているはずだという危険察知をマニュアルがないとできなくなってしまっているという。

また、バルセロナはシックであるのとジャンキーなところが隣接している。それを察知できない人もいる。どぶがある、ないというのもその「感覚」が悪いとわからない。
「どぶを認識することとどぶをふさぐか」ということ。

室井氏が都市は自然、身体感覚を磨くにはどうすればいいかを質問。

内田氏は子育てが身体感受性が上がる。マニュアルなしだ、と。

吉見氏は都市は歴史をふくみ、歴史は都市を含む。歴史の重なりがあるのが歴史だという。
「都市のドラマトゥルギー」ではボトムアップで街という劇場を作っていく過程が描かれているが、データベースに時間はない、ネットに時間は本当にないのかという疑問。

室井氏がそれに応えて時間,経験は積み重ならない、と。80年代90年代以前のデータが全部消えてる。また、ネット自体で経験は蓄積されない。

内田氏はどんな文章でも音声的再生をしている、響きの或る言葉もあるし、人間の語るものである限り一定の身体性を持ちうるという。ネットの身体性に気づかないこと、気づかないのが真の身体性の欠落なのではないかと。

室井氏はその発言に対してありえるが、例えば映画では、いつでもみれるがそれは今見る必要がなくなる、という。そのときに人は関心をもつのだろうか、と。

ここで時間。シンポジウム終了。

終了後に「北仲スクール」の講師陣が登場。梅本洋一氏が登場し、内田氏に自分は小津安二郎をフィルムでみたい。それをみたときの感動をDVDで反芻しているのではないかと質問する。
画集でみるのと美術館でみるのの違いのように。しかし批判が嫌いな内田氏からはうまく答えを得られない。

関東学院大の中津氏も登場。子どもの遊び場の安全問題、便利のまちがどれだけ人をだめにしていくか、また議論をしてほしい、と。

それに対して吉見氏がレスポンス。安心安全の概念を換えないと行けない。どぶの話。どぶにふたするのではなくどぶに危険を察知できるか。

日本辺境論 (新潮新書)

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ポスト戦後社会―シリーズ日本近現代史〈9〉 (岩波新書)

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