・WORKSHOP研究 0

「WORKSHOP」という設計事務所があった。言わずと知れた北山恒、木下道郎、そして谷内田章夫の三者による設計事務所である。1994年にWORKSHOPは解体されたが、未だにこの三者の思想は似通った部分があるように思われる。
それは、世間一般的に言われる「建築家」という形態のみが先行イメージとして取り出されるような像ではなく、一般社会とのつながりを強く意識した建築創造である。と言ってしまってもいいかはまだ疑問ではあるが、過去の「日本における」建築家像とは少し違う。というのも、そこには現在問題として取り上げられることもある建築家と社会の乖離にはそこまで当てはまらないと考えられるからである。そこには、「土地」「経済」「一般社会」といった芸術というノスタルジーには関与しないカテゴリーを含有した中間項を捉えることができる。
昨今、建築界では「1995年」というメルクマールが取沙汰される。windows95の発売元年であり、阪神大震災があり、オウム事件があり、そして「せんだいメディアテーク」のコンペのあった年である。これらの歴史的な事象は、情報化社会への転換点であることを示し、建築の在り方も変化する。この前年、WORKSHOPは解体し、各々の活動に入る。
その活動を、デザイン、意匠といった活動領域以上にその根底まで踏み入れた活動であり、単に偏った支持層へのブルジョア的建築家とは一線を画すものだと仮定する。それは、経済格差以上に情報格差として表れをもつものだ。
その先には建築が、デザインが資本主義・平準化社会においてどのようなふるまいをするべきかが見えてくるはずである。
以上に触れた三者とぼくは、大学が同じなだけで特に何の接点もない。しかしこの「WORKSHOP」という設計事務所に端を発する活動は、ぼくにとって大きな意味のあるように思える。それは修士論文で行った村野藤吾、林昌二、芦原義信の研究と大差はないようにも思える。むしろこの歴史的にも大きな役割を果たした三者の正統な承継者として望ましい立ち位置であるようにも思えるのだ。